正義に曰く、「大畜は剛健篤実なり」と言う者は、此れ大畜の義を釈す。「剛健」とは乾を謂う。乾の体は剛にして性は健なり、故に「剛健」と言う。「篤実」とは艮を謂う。艮の体は静止す、故に「篤実」と称す。「輝光日新にその徳を新にす」とは、その剛健篤実なるの故を以て、故に能く輝耀光栄にして、日々にその徳を増新す。若し剛健無ければ劣弱なり、必ずや既に厭われて退く。若し篤実無ければ虚薄なり、必ずや既に栄えて殞つ、何ぞ能く久しく輝光ありてその徳を日新にせんや。
注の「凡そ物既に厭われて」より「剛健篤実のみ」に至るまで。
正義に曰く、「凡そ物既に厭われて退く者は弱きなり」とは、『経』の「剛健」を釈すなり。若し剛健ならざれば厭われて退けらる。能く剛健なれば、為すところ日に進みて厭われ退けられざるなり。「既に栄えて殞つる者は薄きなり」とは、『経』の「篤実」を釈すなり。凡そ物、暫時の栄華にして即ち損落する者は、体質の虚薄なるに由る。若し能く篤厚充実なれば、恒に栄美を保ちて損落有ること無きなり。「剛上りて賢を尚ぶ」。
正義に曰く、「剛上る」とは上九を謂う。乾の剛が向上し、上九が拒まざるは、これ賢を貴び尚ぶなり。
注の「上九を謂うなり」より「尚賢の謂いなり」に至るまで。
正義に曰く、「上九を謂うなり」とは、上九の徳、乾の上進を見て距逆せざるを言い、これ「賢を尚ぶ」を貴ぶなり。「上に処りて大いに通ず」とは、上九の「天の衢に何(みちび)かれて亨る」を釈し、これ上に処りて通ずるなり。既に上に処り、下は天に応じ、大通の徳あるなり。「剛来たりて拒まず」とは、大通あるを以て、既に乾の来たるを見て距逆せざるは、これ「賢を尚ぶ」の義なり。正義に曰く、「貞に利し」の義を釈す。艮が能く乾の健を止むる所以の者は、徳能く大正なり、故に「能く健を止む」なり。「家食せずして吉なり」より「天に応ずるなり」に至るまで。
正義に曰く、「不家食吉は賢を養えばなり」とは、「不家食吉」を釈し、賢者をして家に自食せしめずして吉を獲る所以なり。上に「大畜」の実在るを以て、此の賢人を養う、故に賢者をして家に自食せしめざるなり。「利涉大川は天に応ずればなり」とは、賢人を貴び尚び、大正にして天に応ずるを以て、険難を超え過ぐべし、故に「大川を渉るに利し」となり。
注の「大畜の実あり」より「大川を渉るに利しきなり」に至るまで。
正義に曰く、「賢を尚びて健を制す」とは、上九の剛来たりて拒まざるを謂い、「賢を尚ぶ」の謂いなり。艮能く剛を畜むは、「健を制す」の謂いなり。故に上の『経』に云く「剛上りて賢を尚ぶ」と。王の『注』に云く「上九を謂うなり」と。又た云く「能く健を止め、大正なり」と。王の『注』に云く「健は乾より過ぐるはなく、而して能くこれを止む。夫の大正に非ざれば、未だこれ能わざるなり」と。則ち是れ全く艮体を論ず。「明らかに知る賢を尚ぶ」とは上九を謂うなり。「健を制す」とは艮体を謂うなり。「大正にして天に応ず」とは、艮を謂うなり。故に前文に云く「能く健を止め、大正なり」と。健を止むるは是れ艮なり、天に応ずるとは、上体の艮が下体の乾に応ず、故に「天に応ず」と称す。此れ上卦と下卦とを取りて相応ずるのであり、一陰一陽が相応ずるを謂うに非ざるなり。