周易本義卦辞
姤は古と後の反切。取は七と喩の反切。
姤は遇(であ)うことである。決し尽くせば純乾となり四月の卦であるが、姤に至って初めて一陰が見えて五月の卦となる。もともと予期していたところではなくして卒然としてこれに遭い、期せずして遇うがごときゆえに遇となす。遇うことすでに正しからず、しかも一陰にして五陽に遇えば、女の徳は貞ならずしてその壮(さか)んなること甚だしい。これを娶りて己に配すれば必ずや陽を害する。ゆえにその象占はこのようである。
それぞれの暦日は一つの卦に決定論的に対応します——文王卦の順で64日を一巡する連続輪転によるものです。占わず、乱数もありません。
姤:女壮なり、女を娶るに用うる勿れ。
天風姤は天の下に風が吹き巡り、五陽の下に一陰が初めて生じる偶然の出会いと微小な兆しを象徴します。予期せぬ巡り合わせを生かしつつも、小さな乱れが広がる前に分寸を弁えて原則を守る知恵を説いています。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Daily hexagram 2026-07-17: #44 天风姤. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/daily-hexagram/2026-07-17/
四柱推命の節気体系において、姤卦は陽極まって陰が生じる夏至・午月に配当され、旺盛な火気の中に微細な陰気が潜行する構造を示します。命理の伝統では劇的な出会いや運気の変転の節目とされ、好機を捉える機敏さが求められる一方で、目に見えぬ浸食や消耗への備えが欠かせません。物事の端緒を見極めて手綱を締めておくことが、運勢の主導権を握る鍵となります。
占星術の観点では、水星と海王星、金星が交錯する偶然性に富んだ配置を連想させ、鮮やかな出会いと境界の曖昧さを併せ持っています。偶発的なインスピレーションや人脈の急拡大をもたらす反面、無警戒に受け入れれば主客が逆転する危うさも孕んでいます。華やかな誘いに対して冷静な理性を保つことで、不測の出会いを実りある飛躍へと昇華できます。
上卦が天(乾)、下卦が風(巽)で構成され、卦辞は「女壮なれば女を取るに用うる勿れ」と述べ、微弱な陰が勢いを増すことへの警戒を促します。彖伝は天地の出会いが万物を育む偉大さを称えつつも、剛健にして中正を得てこそ天下に行き届くと戒めています。不意の好機に心を躍らせながらも節度と道理を保つ姿勢が、長期の安寧につながりやすくなります。
職場においては、予期せぬ提携話や外部からの新風が舞い込み、事業や交流が一気に活性化する時期にあたります。大象伝が「后以て命を施し四方に誥ぐ」と説くように、新たな展開を迎える時ほど組織の規律と権限を明確に布告することが不可欠です。勢いに任せて規約を曖昧にせず基本指針を共有しておくことで、思わぬ業務上の混乱を未然に防げます。
突発的な臨時収入や一見魅力的な短期の投資話が舞い込みやすい運気ですが、持続性には慎重な検証が必要です。易学の伝統は「長久なるべからず」と教え、一時的な利益に溺れて本業の資金基盤を損なう危うさに警鐘を鳴らします。浮ついた甘い話には一線を画し、堅実な資産防衛を徹底することが将来の財政を守る最善策です。
電撃的な一目惚れや運命的な再会など、劇的な引き合いが生じやすい反面、性急な進展には警戒が求められます。外見の魅力やその場の熱量だけで深い関係を結ぶと、価値観や生活習慣の不一致が後から大きな歪みとなりかねません。出会いの喜びに浸りつつも相手の本質をじっくり見極める時間を設けることが、確かな絆を育む近道です。
季節の変わり目や暑熱から冷えへと移行する境目において、呼吸器系や自律神経系に微細な乱れが生じやすいとされます。伝統医学の養生法では、風邪(ふうじゃ)の侵入を防ぎ、体内に湿熱がこもらないよう食事と睡眠のリズムを整えることが推奨されます。わずかな倦怠感や喉の違和感を放置せず早めに対処することが、健やかな活力を維持する秘訣です。
内面の修養においては、心の深層にふと湧き上がる小さな執着や慢心の萌芽をいち早く捉える鋭敏さが問われます。古典哲学において姤の時義が大とされるのは、事物の兆しを初動で察知し自制する知恵を含むからです。無自覚な欲望の芽を静かに見つめて正す習慣を持つことで、精神の純度と穏やかさを保ち続けることができます。
二人の間には瞬時に意気投合する刺激的な親和性が働きますが、関係を深めるには相応の慎重さが必要です。易の知恵では、初期の熱狂に流されて約束を急ぐよりも、現実的な境界線と敬意を保ちながら信頼を積み重ねることが説かれます。対等な礼節を崩さずに少しずつ距離を縮めていくことで、健全で息の長いパートナーシップが築かれます。
大運の転換期にあたり、環境の急変や新たな人物の参入によって既存の枠組みが揺さぶられやすい星回りです。易象は風が天下を吹き抜けるように柔軟に適応しつつ、足元の基盤を侵食されないよう布石を打つ大切さを示唆します。時代の潮流に機敏に反応しながら自らの根幹を堅持することで、波乱の兆しを追い風に変えることができます。
年間を通じて人脈の交替や想定外の出来事が頻発し、生活のペースが目まぐるしく加速する年となるでしょう。口約束だけで物事を進めると後々思わぬ誤解を招きやすいため、重要な取り決めはすべて書面化して明確にしておく必要があります。持ち込まれる案件を冷静に選別して対処することで、実り豊かな一年に仕上げることができます。
姓名判断において天風の気配は、軽快な弁舌や鋭い直感、社交界で瞬時に頭角を現す機転の良さを象徴します。ただし風が吹き去るような軽薄さに傾かぬよう、字画や漢字の選定には大地や山のような重厚な安定感を補う構成が吉とされます。機敏さと揺るぎない落ち着きを兼備した名号が、長期にわたる名声と人望を支えます。
日選びの伝統において姤卦の日は、方針の布告や広報発表、大規模な交流会など周知を図る催事には大いに適しています。しかしながら、永続的な貞節と排他的な結束が求められる婚姻や長期専属契約の締結には慎重であるべき日とされます。用事に当たっては冲破や暗動を警戒し、金気は清く木気が和らぐ良辰を選ぶのが要点です。公に向けて広く意見を発信する機会として活用すれば、政令や提案が速やかに広まる好機となります。
風が天の下を疾走する象景から、住まいやオフィスでは空気の流れが活発になり、知名度の向上には有利に働きます。一方で玄関から裏手へ風が直線的に吹き抜ける間取りは、財気や家庭の落ち着きを散じてしまうと風水学では戒められます。仕切りや観葉植物を配して気の直行を緩やかに整えることで、活気と安心感が両立する空間が完成します。
姤は遇なり、柔、剛に遇うなり。「女を娶るに用うる勿れ」とは、与に長ずべからざるなり。天地相遇いて、品物みな章らかなり。剛、中正に遇いて、天下大いに行わる。姤の時義、大いなるかな。
天下に風あるは姤なり。后以て命を施し四方に誥ぐ。
周易本義卦辞
姤は古と後の反切。取は七と喩の反切。
姤は遇(であ)うことである。決し尽くせば純乾となり四月の卦であるが、姤に至って初めて一陰が見えて五月の卦となる。もともと予期していたところではなくして卒然としてこれに遭い、期せずして遇うがごときゆえに遇となす。遇うことすでに正しからず、しかも一陰にして五陽に遇えば、女の徳は貞ならずしてその壮(さか)んなること甚だしい。これを娶りて己に配すれば必ずや陽を害する。ゆえにその象占はこのようである。
周易本義彖伝
卦名を釈す 卦辞を釈す 卦体をもって言う 九五を指す 幾微の際、聖人の謹む所
伊川易伝卦辞
姤の序卦に「夬は決なり。決すれば必ず遇うあり、ゆえにこれを受くるに姤をもってす」とある。姤とは遇うことである。決とは判(わか)れることである。物が決判すれば遇合することがある。もとより合っていれば何に出会うことがあろうか。姤が夬に次ぐゆえんである。卦たるや乾が上にして巽が下にある。二体をもってこれを言えば、風が天下を行くことであり、天の下にあるものは万物である。風の行くところ触れず経ざるはなし、すなわち遇うの象である。また一陰が下において初めて生じ、陰が陽と遇うことである。ゆえに姤となす。
一陰が初めて生じ、これより長じて漸く盛大となるは、これ女の将に長じ壮ならんとする姿である。陰が長ずれば陽は消じ、女が壮んなれば男は弱まる。ゆえにかくの如き女を娶るに用いるなかれと戒める。女を娶るとは、その柔順に従うをもって家道を成さんことを欲するからである。姤はすなわち方(まさ)に進みつつある陰が漸く壮となりて陽に敵するものであり、ここをもって娶るべからざるのである。女が漸く壮となれば男女の正を失い、家道は敗れる。姤は一陰にして甚だ微かなりといえども、漸く壮となる道を含んでいる。ゆえに戒めるのである。
伊川易伝彖伝
姤の義は遇うことである。卦の姤たる所以は、柔をもって剛に遇うことである。一陰がまさに生じ、初めて陽と相遇うのである。一陰がすでに生じて漸く長じ盛んとなり、陰が盛んなれば陽は衰える。女を娶るは長久にして家を成さんことを欲するゆえである。この漸く盛んなる陰は将に陽に消勝せんとするものであり、ともに長久なるべからず。およそ女子・小人・夷狄の勢いは、もし漸く盛んなればどうしてともに久しくできようか。ゆえにかくの如き女を娶るに用いるなかれと戒めるのである。
陰が下において初めて生じ、陽と相遇うは天地が相遇うことである。陰陽が相交わり遇わねば万物は生じない。天地が相遇えば化育して庶類品物ことごとく章(あきら)かとなり、万物が章明となるのである。卦の材をもって言う。五と二はともに陽剛にして中を得、あるいは正を得て、中正をもって相遇う。君は剛中なる臣を得、臣は中正なる君に遇う。君臣が剛陽・中正をもって遇えば、その道は天下に大いに行われ得るのである。哉。
姤の時と姤の義とを賛すること至大である。天地相遇わざれば万物は生ぜず、君臣相遇わざれば政治は興らず、聖賢相遇わざれば道徳は亨(とお)らず、事物相遇わざれば功用は成らない。姤の時と義とはともに甚だ大なるものである。
伊川易伝大象伝
風が天下を行き、周(あまね)からざる所なし。君たる后(きみ)は、その周遍の象を観て、もって命令を施し四方に周誥するのである。風が地上を行く(風地観)と、天の下に風がある(天風姤)とは、ともに庶物に周遍する象であるが、地上を行きて万物に遍く触れるは観となり、歴観省察の象である。天下を行きて四方に周遍するは姤となり、命令を施発する象である。諸象において、あるいは先王と称し、あるいは后と称し、あるいは君子・大人と称する。先王と称するは、先王が法制を立て、国を建て、楽を作り、方を省み、法を勅し、関を閉ざし、物を育み、帝を享(まつ)るがごとき、みなこれである。后と称するは、后王の為す所であり、天地の道を財成し、命を施して四方に誥するがこれである。君子とは上下の通称であり、大人とは王公の通称である。
周易注彖伝
これを人に施せば、すなわち女が男に遇うことである。一女にして五男に遇うは、壮なること至って甚だしく、ゆえに娶るべからざるなり。正しくして功が成る。化して大いに行われる。哉。およそ義を言う者は、見るところに尽きず、中に意謂するところがある。
周易正義卦辞
正義に曰く、「姤は遇なり」。この卦は一柔にして五剛に遇う。ゆえに名づけて「姤」となす。これを人に施せば、すなわち一女にして五男に遇うことであり、壮なること至って甚だしい。ゆえにこれを戒めて「この女壮なること甚だし、この女を娶るに用うるなかれ」というのである。
周易正義彖伝
正義に曰く、これは爻について卦名を釈したものであり、初六の一柔が上りて五剛に遇うをもって「遇」と名づけ、それを用いて卦辞の「女壮んなり、女を娶るに用うるなかれ」の義を釈しているのである。「女を娶るに用うるなかれ」から「品物ことごとく章かなり」に至るまで。
正義に曰く、「女を娶るに用うるなかれ、ともに長かるべからず」とは、女の体たるや婉娩貞順にして、まさに偕老を期すべきである。淫壮かくの如くなれば、ともに長久なるべからず、ゆえに「女を娶るに用うるなかれ」というのである。「天地相遇いて、品物ことごとく章かなり」とは、以下遇の義を広く明かすものである。卦が遇の名を得たるは、もと一柔が五剛と相遇うに由る。ゆえに遇の辞は美にあらず、卦について取れば、ついに遇は用いるべからず、すなわち「女を娶るに用うるなかれ」と言う。ゆえに孔子はさらに天地について「遇」の義たるや廃すべからざるを嘆美したのである。天地もしおのおのその居る所に亢(たかぶ)りて相交わり遇わざれば、万品庶物は彰顕する由なし。必ず二気が相遇いて、すなわち化生を得る。ゆえに「天地相遇いて、品物ことごとく章かなり」というのである。
正義に曰く、荘氏の云う「一女にして五男に遇うは、すでに娶るべからざるも、天地が匹配すれば、すなわち品物を成すことができる」。これに由りてこれを言えば、もし剛が中正の柔に遇い、男が幽貞の女を得るならば、天下人倫の教化は大いに行われるのである。「姤の時義大なるかな」。正義に曰く、上にすでに広く美を讃え、ここにまた結びて嘆賞した。卦について義を取らんと欲すれば、ただ一女にして五男に遇うに過ぎず、美と称するに足りない。「天地相遇う」ことを広く論じて、すなわち「品物ことごとく章かなり」を致し、然るのちに「姤の時義大なるかな」とするのである。
注の「凡そ義を言う者は」から「意謂する者あるなり」に至るまで。
正義に曰く、注は総じて義と称する例を発しているゆえに「凡そ」というのである。卦について名義を検証すれば、ただ女が男に遇うのみであるが、遇の深き旨を広く尋ぬれば、道は天地を蓋ねるに至る。ゆえに「見る所に尽きず、中に意謂する所あり」というのである。
周易正義大象伝
正義に曰く、風が天下を行けば、物に遇わざるはなし。ゆえに遇の象となす。「后もって命を施し四方に誥す」とは、風行きて草偃すは天の威令である。ゆえに人君はこれを法とし、教命を施して四方に誥するのである。