周易本義爻辞
陰柔にして下に居り、訟を終極せしめることができない。ゆえにその象と占いはかくのごときである。
第1爻
初六:事とするところを永くせず、少し言あるも、終りには吉なり。
争いの端緒において深入りせず、早めに事実を明らかにして収束を図る知恵を示しています。つまらない口論を長引かせないことで、最終的に平穏を取り戻せます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 6 讼 — 第1爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/6/1
初六は訟の卦の最下位にあって陰をもって陽位に居り、九四と応じつつも争いが芽生えた初期段階に位置し、変卦は履となります。爻辞の「事とする所を永くせず、小さく言うことあれども、終には吉」および小象伝の教えが示すように、伝統的な解釈では初期の誤解を弁明したうえで速やかに身を引く姿勢が重んじられます。小さな批判や噂話に囚われず、事実を手短に明らかにして争いを長引かせないことが最善の道となります。
職場で生じた軽微な行き違いや業務上の批判に対しては、感情的になって対立を深めるべきではありません。伝統的な易の観点では、必要な事実関係だけを速やかに共有し、過度な弁解や泥沼の議論を避けて日常業務に集中することが推奨されます。小さな摩擦をその場で理性的に整理して引きずらない姿勢が、周囲からの信頼を守ります。
パートナーとの間で生じた些細な口論やすれ違いは、意地を張って過去の不満まで蒸し返すとこじれやすくなります。伝統的な教えにある通り、互いの本音を冷静に確認した後は速やかに水に流し、過ちを責め立てない寛容さが求められます。小さな誤解はその場で穏やかに解き、引きずらずに日常へ戻ることが円満の秘訣です。
少額の取引トラブルや契約上の細微な食い違いは、時間をかけて争うよりも迅速な妥協や協議による早期解決が賢明です。過度な主張にこだわって時間や労力を費やすと、かえって余計な損失を招きかねないと伝統的な解釈は戒めています。小さな金銭的行き違いは柔軟に清算し、余計な摩擦を長引かせないことが資産管理の安定につながります。
「事とするところを永くせず」とは、訟は長くすべからざるなり。「少し言あり」といえども、その弁は明らかなり。
周易本義爻辞
陰柔にして下に居り、訟を終極せしめることができない。ゆえにその象と占いはかくのごときである。
伊川易伝爻辞
六は柔弱をもって下に居り、その訟を終極することあたわざる者である。ゆえに訟の初めにおいて六の才に因りてこれを戒めて曰く、もしその事を長永にしなければ、少し言あるといえども終には吉を得るであろうと。思うに訟は長ずべき事にあらず、陰柔の才をもって下において訟うれば吉なるは難し。上に救援の応があり、よくその事を永くせざるがゆえに、小しく言あるといえども終には吉を得るのである。「言あり」とは災いの小さきものである。その事を永くせずして凶に至らざるは、すなわち訟の吉である。
伊川易伝小象伝
六は柔弱をもって下において訟うれば、その義として固より長永にすべからず。その訟を永くすれば勝たずして禍難が及ぶ。また訟の初めにおいて直ちに訟は長ずべき事にあらざるを戒めるのである。
柔弱にして下に居れば才として訟うることあたわず。その事を永くせずといえども、すでに訟えば必ず小災あり、ゆえに小しく言あるなり。すでにその事を永くせず、また上に剛陽の正応があり道理を弁ずること明らかなれば、終にはその吉を得るのである。しからざれば免れることができようか。訟の義において同位にして相応ずれば相与みする者である。ゆえに初は四においてその弁明を獲る。同位にして相得ざれば相訟う者である。ゆえに二と五は対敵となるのである。
周易注爻辞
訟の始めに処し、訟は終極すべからず、ゆえに「事とする所を永くせず」、しかるのちに吉なり。およそ陽が唱えて陰が和し、陰は先に唱える者ではない。四が召して応じ、犯さるるを見てすなわち訟う。訟の始めに処して訟の先とならず、訟わざるを得ずといえども、訟を了するに必ず弁明されん。
周易正義爻辞
「初六」から「小しく言あるも終には吉なり」まで。
正義に曰く、「事とする所を永くせず」とは、永は長である。長く闘訟の事をなすべからず、「訟は終極すべからず」だからである。「小しく言あるも終には吉なり」とは、「終には吉」というは、初六は九四に応ずるをいう。然れども九四は剛陽にして先に来たりて非理に己を犯し、初六は陰柔にして犯さるるを見てすなわち訟う。訟わざるを得ずして訟うるとはいえ、已むを得ざるゆえに「小しく言あり」。訟の始めに処して訟の先とならざるゆえに「終には吉」なのである。
注の「訟の始めに処し」から「必ず弁明されん」まで。
正義に曰く、「訟の始めに処し」とは、始めて訟の境に入り、訟事なお微なるをいう。ゆえに「訟の始めに処し」というのである。「訟の先とならず」とは、己はこれ陰柔にして唱うるを待ちてしかるのちに和す、ゆえに「訟の先とならざるなり」という。
周易正義小象伝
正義に曰く、「訟は長ずべからず」とは、「事とする所を永くせず」を釈したものであり、訟は長ずべからざるをもって、この闘争の事を長くせざるなり。「その弁明らかなり」とは、「小しく言あり」を釈し、訟は必ず分明に弁析されるゆえである。四は初めに己を犯すといえども、己はよく弁訟して道理分明なるゆえに、初時には「小しく言ある」のみである。
一撮金爻辞
初六の初爻、上中:嘹呖たる征鴻は独り群を出で、高く飛ぶ羽翼はさらに雲を斜めにす。行程を分かちて正北に進み図るべく、よき名声は処々に聞こゆ。