East Almanac
日本語

22. 山火賁 (贲)

第4爻

この爻が動けば に変じる 30. 離為火 (离)
六四:賁如たり皤如たり、白馬翰如たり。寇するに匪ず、婚媾す。

現代解釈

山火賁の六四は、過剰な飾りを脱ぎ捨てて素朴な純粋さへと立ち返り、疑念を晴らして真の絆を結ぶ転換点を示します。虚飾や警戒心を手放して本心で向き合うことが、誤解を解消し良縁を育む契機となります。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 22 贲 — 第4爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/22/4

易の占い

六四は上卦の初めにあり、陽爻の初九と正しく応じ合いますが、直下の九三への懸念から迷いが生じやすい位置です。易学の伝統では、白馬に乗って素朴な装いで進む姿から、外見の装飾を脱ぎ去り純粋な誠意を差し出すことで、害をもたらす者ではなく結びつきを望む味方であると証明されると解釈されます。余計な計算や警戒心を解いて素直な本分に立ち返ることが、疑念を払拭し状況を好転させる原動力となります。

仕事・キャリア

ビジネスにおいては、過度な演出や形式主義を見直し、実質的な誠実さで信頼関係を再構築すべき局面です。本爻の変卦は離であり、内なる明晰さをもって提携契約や長期的目標を精査し、短期的な勢いに惑わされないことが示唆されています。小象伝が位に当たって疑う心が生じる点に触れているように、当初は相手の意図に疑念を抱きがちですが、透明性の高い対話を重ねることで誤解は自然と解消されます。飾りのない率直な姿勢で実績を示すことが、確固たる協力体制を築く最短ルートです。

恋愛・対人

対人関係や恋愛では、駆け引きや見栄を排し、ありのままの素顔で接することが関係進展の契機となります。古典解釈の教えが示す通り、相手の真意は敵意ではなく親愛の情にあります。虚勢を張らずに素直な好意を示すことで、心の壁が取り払われ温かな結びつきが生まれます。

金運

金銭面では、派手な広告や過度なパッケージに惑わされず、中身の本質を見極める慎重さが求められます。見栄のための浪費を抑え、シンプルで健全な家計管理や透明性の高い運用へシフトすることが身を守る手段となります。無駄な飾りを省いた手堅い管理を貫くことで、財政基盤の安全を保つことができます。

参考資料

原文

小象伝

六四は位に当たりて疑うなり。寇するに匪ず婚媾すとは、終に尤めなきなり。

古典注釈

周易本義爻辞

「皤」は白波の音である。皤とは白いことである。馬は人の乗るところであり、人が白ければ馬もまた白くなる。四は初と相賁る者であるが、九三に隔てられて遂げることができない。ゆえに皤如として、その往き求める心は飛翰の疾きが如くである。然れども九三は剛正にして寇をなす者ではなく、婚姻を求むるのみである。ゆえにその象はこのようである。

周易本義小象伝

当位にして疑うとは、当たるところの位が疑わしいことをいう。終に咎なしとは、もし正を守りて与しなければ、また他の患いもないことをいう。

伊川易伝爻辞

四と初とは正応として相賁る者である。本はまさに賁如たるべきであるが、三に隔てられるがゆえに相賁ることを得ずして皤如となる。皤とは白きことであり、未だ賁るを得ないことである。馬は下に在りて動く者である。未だ相賁るを得ないがゆえに「白馬」という。その正応に従う志は飛ぶが如し、ゆえに「翰如」という。九三の寇讐に隔てられるのでなければ、婚媾は遂に相親しむであろう。己の乗るところと下において動く者とは馬の象である。初と四は正応であり、終には必ず親しむを得る。ただ始めはかれに間隔されるのみである。

伊川易伝小象伝

四と初とは相遠くして、三がその間に介在する。これ当たるところの位が疑わしい所以である。三の寇讐に隔てられて未だ婚媾に親しむを得ないといえども、その正応は理直にして義勝つ。終には必ず合するを得る。ゆえに「終に咎なし」という。尤とは怨みである。終には相賁るを得るがゆえに怨尤なきなり。

周易注爻辞

初に応があるが三に塞がれ、己の寇難となる。二つの志が相感ずるも通亨を得ず、静ならんと欲すれば初の応を疑い、進まんと欲すれば三の難を懼れる。ゆえにあるいは飾りあるいは素朴となり、内に疑懼を抱くのである。その馬を鮮潔にし、「翰如」として待つ。正位を履むといえども、いまだ敢えてその志を果たせない。三は剛猛にして軽々しく犯すべからず、寇に非ずして婚をなせば、終に咎なきなり。

周易正義爻辞

「『象』に曰く永貞の吉」から「寇に非ず婚媾なり」に至るまで。正義に曰く、「賁如皤如」とは、皤は素白の色である。六四は応が初に在り、往きてこれに従わんと欲するに、三が己の難となるゆえに己は猶予する。あるいは文潔をもってするゆえに「賁如」であり、あるいは質素を守るゆえに「皤如」である。「白馬翰如」とは、ただその馬を鮮潔にし、その色「翰如」として、徘徊してこれを待ち、未だ敢えて直ちに進まないことである。「寇に非ず婚媾なり」とは、もし九三が己の寇害をなすのでなければ、初と婚媾をなすことを得るのである。

正義に曰く、「六四当位にして疑う」とは、その当位にして初と応をなすを得るが、ただ三に妨げられるゆえに遅疑するのである。もし当位でなければ初と応ではないのに、どうして往かんと欲して遅疑を致す必要があろうか。「寇に非ず婚媾にして、終に咎なし」とは、「寇に非ず婚媾なり」の義を釈するものである。もし寇難なきを待ちて婚媾をなすならば終に過咎はない。もし寇難を犯して婚媾をなすならば終に咎があるであろう。

出典