周易本義小象伝
富の如きは富に非ざるなり。天下の富は、その利を計りてこれを為すに非ざるを言うなり。
第2爻
六二:耕さずして穫り、菑を開かずして畬を開かず。則ち往くところあるに利ろし。
六二は柔順中正にして九五と正応し、結果や見返りを性急に求めず、目の前の本分に専念する美徳を示しています。功利の念を捨てて時宜にかなった営みを重ねることで、結果として大きな進展と恵みがもたらされます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 25 无妄 — 第2爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/25/2
下卦の中庸を得た六二に対し、爻辞は「耕さずして穫らず、菑せずして畬せず」と説き、収穫ばかりを焦らず今なすべき耕作に没頭する姿勢を賞賛しています。伝統的な解釈では「未だ富まざるなり」とされ、私的な富を貪る私欲がないからこそ、天理に従って自ずと道が開けると説かれます。之卦の天沢履は、礼節を守りつつ身の丈に合った着実な歩みを進める重要性を示唆しています。一言で言えば、結果への焦りを手放して目の前の務めに誠心誠意取り組むことが、大きな実りを呼び込みます。
即効性のある成果や評価ばかりを追い求めるのではなく、実務の基礎を磨き業務の質を高めることに専念すべき段階です。手柄を急がずに地道な貢献を積み重ねる姿勢は、組織や上層部から深い信頼と高い評価を得る契機となります。長期的な視点で実力を蓄積することこそが、将来の確固たる地位へと繋がります。一言で言えば、目先の功名争いに惑わされず足元の実務を完璧にこなすことが、揺るぎない評価へと実を結びます。
愛情を見返りを求める取引のように扱わず、相手を純粋に思いやる献身的な姿勢が関係を深めます。条件や打算を交えずに日々の穏やかな時間を大切に分かち合うことで、互いに安心感を抱き、確固たる絆が育まれます。無償の温もりこそが二人の心を強く結びつけます。一言で言えば、損得勘定を抜きにして相手に優しく寄り添うことが、最も深い愛情を育む礎となります。
短期的な投機で一攫千金を狙うのではなく、本業のキャッシュフローを安定させ着実な蓄財に重きを置くべき時です。伝統的な易理では、功利に囚われず自然な実りを待つ姿勢が長期的な財政基盤を強固にすると捉えられます。無理なリスクテイクを避け、日々の堅実な収支管理を継続することが賢明です。一言で言えば、焦って大きな利益を追うよりも日々の地道な積み立てを守り抜くことが、確かな蓄財に繋がります。
耕さずして穫るとは、未だ富を求めざるなり。
周易本義小象伝
富の如きは富に非ざるなり。天下の富は、その利を計りてこれを為すに非ざるを言うなり。
伊川易伝爻辞
凡そ理の然る所の者は妄に非ず、人の為さんと欲する所の者は乃ち妄なり。故に耕穫・菑畬を以てこれに譬う。六二は中に居り正を得、また五の中正に応ず。動体に居りて柔順、動きて能く中正に順うと為す、乃ち無妄なる者なり。故に極めて天雷無妄の義を言う。耕は農の始め、穫はその終りを成すなり。田一歳を菑と曰い、三歳を畬と曰う。耕さずして穫り、菑せずして畬すとは、首(はじ)めその事を造さず、その事理の当然なるに因るを謂うなり。首めその事を造せば則ち是れ人心の作為にして乃ち妄なり。事の当然に因れば則ち是れ理に順いて物に応じ、妄に非ざるなり。穫と畬とは是れなり。蓋し耕せば則ち必ず穫ること有り、菑すれば則ち必ず畬となる有り、是れ事理の固より然る所にして、心意の造作する所に非ざるなり。或るひと曰く、聖人の制作して以て天下を利するは皆端を造すなり、豈に妄に非ずやと。曰く、聖人は時に随いて制作し、風気の宜しきに合す、未だ嘗て時に先立ちてこれを開かざるなり。もし時を待たずんば則ち一聖人にして尽く為すに足らん、豈に累聖の継ぎて作すを待たんや。時は乃ち事の端にして、聖人は時に随いて為すなり。
伊川易伝小象伝
未とは必せずの辞なり。臨卦に「未だ命に順わざるなり」と曰えるは是れなり。耕さずして穫り、菑せずして畬すとは、その事の当然なるに因る。既に耕せば則ち必ず穫ること有り、既に菑すれば則ち必ず畬を成す、必ずしも穫畬の富を以て為すに非ざるなり。その耕菑を始むるや、乃ち心を設くるに穫畬を求むるに在るは、是れその富を以てするなり。心に欲有りて為す者は則ち妄なり。
周易注爻辞
耕さずして獲、菑せずして畬すとは、終わりに代わりて已に成りて造さざるなり。その美を擅(ほしいまま)にせず、乃ち臣道を尽くす、故に「往く攸有るに利し」。
周易正義爻辞
「象曰」より「利有攸往」に至る。
正義に曰く、「耕穫せず菑畬せず」とは、六二は中に処り位を得て、臣道を尽くし、敢えて首(はじ)めを創めず、唯だその終りを守る。猶お農夫の敢えて首めを発して耕さず、唯だ後ろに獲刈するに在るがごときのみ。敢えて新田を菑発せず、唯だその菑熟の地を治むるがごときは、皆その始めを為さずしてその末を成すなり。猶お臣たるの道、事の始めを為さずして君に代わりて終り有るがごときなり。則ち「往く攸有るに利し」とは、臣たること此の如くなれば、則ち往く攸有るに利し、もし此の如くならざれば、則ち往きて利無きなり。
正義に曰く、「耕さずして獲」の義を釈す。敢えて前(さき)に耕さず、ただ後に獲るを守る者は、未だ敢えて耕すを以てせず、耕すと獲るとを倶に己の事と為さず。唯だ後に獲るを為し、敢えて先に耕す事をなさず。既に初めを闕き、その美を擅にせず、故に「未だ富まざるなり」と云う。