East Almanac
日本語

29. 坎為水 (坎)

第4爻

この爻が動けば に変じる 47. 泽水困 (困)
六四:樽酒簋弐、用うるに缶を貳す。約を納るるに牖よりす、終に咎なし。

現代解釈

坎為水の六四は、険難のただ中にありながらも、飾り気のない真心を窓から届けるように素朴に通じ合い、最終的に咎を免れる道を示しています。古典の注釈では、剛柔が互いに補い合うことで、虚飾を捨てた率直さが難局を切り抜ける鍵になると説かれます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 29 坎 — 第4爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/29/4

易の占い

六四は陰爻が陰位に居て正しさを得ており、直上の剛中な九五を支える位置にあって、変卦は沢水困へと移行します。『小象伝』が「剛柔済也」(剛と柔が互いに補い助け合う)と称えるように、粗末な器と簡素な酒肴であっても、窓の隙間から差し込む光のように誠意を尽くせば危機の中で真の通底が叶います。伝統的な易学では、困難な制約下にあっては儀礼的な虚飾を排し、質素かつ透明な姿勢で臨むことが過ちを避ける道とされます。気取りや体面を捨て去り、ありのままの誠意をもって率直に対話することが活路を開きます。

仕事・キャリア

業務上は依然として厳しい制約やプレッシャーに囲まれていますが、上位の意思決定者と誠実に向き合うことで確かな信任を獲得できます。派手なプレゼンテーションや複雑な社内政治に頼るのではなく、簡潔で飾らない報告と堅実な対応を貫くことが事態を動かす力となります。窓から素朴に通じるという古典の象意が示すように、形式張らない実務的なアプローチこそが壁を打ち破る契機になります。誠実かつ簡素に自らの役割を果たし、余計な飾りを削ぎ落として着実に業務を進めてください。

恋愛・対人

現実的な制約や外部の困難に直面しやすい時期ですが、見栄を捨てて本音を分かち合うことで二人の絆はかえって深まります。粗末な器で酒を酌み交わすような飾らない触れ合いこそが、互いの頑なな心をほぐし、温かな安心感をもたらします。伝統的な教えの通り、豪華な演出や無理な背伸びを避け、日常の素朴な支え合いに心を込めることが大切です。体面にとらわれず素直な気持ちをありのまま伝えることで、穏やかで揺るぎない信頼を築けます。

金運

資金繰りには一定の制約が見られ窮屈さを感じる状況ですが、徹底したシンプルさと透明な管理を維持すれば破綻を防ぐことができます。変卦の困卦は手元の余裕の少なさを警告していますが、必要最小限の資源を誠実にやりくりすれば咎はありません。古典の解釈では、複雑な金融手法や背伸びした支出を整理し、実直な家計・財務構造に徹することが安全をもたらすとされます。虚飾の出費を削ぎ落とし、手元の実質的な収支を明朗に管理して着実に乗り切りましょう。

参考資料

原文

小象伝

樽酒簋貳は、剛柔済うなり。

古典注釈

周易本義爻辞

「簋」の音は軌。「缶」は俯九の反。

晁氏曰く、先儒は「樽酒簋」をもって一句とし、「貳用缶」をもって一句と読んだ。いまこれに従う。貳はこれを益す(副える)ことである。周礼の大祭に「三貳」、弟子職に「左に虚豆を執り、右に挾匕し、周旋して貳す」とあるのがこれである。九五は尊位であり、六四はこれに近づく。険の時に在りて剛柔相際す。ゆえにただ薄礼を用い、誠心を益してもって牖(窓)より進結する象がある。牖は由る所の正しき道にあらずして、室の明を受くる所以のものである。始めは艱阻なりといえども終わりに咎なきを得る。ゆえにその占いがかくの如くである。

晁氏曰く、陸氏の釈文本には「貳」の字がない。いまこれに従う。

伊川易伝爻辞

六四は陰柔にして下に助けなく、能く天下の険を済う者ではない。その高位に在るをもって、臣たる者の険に処する道を言う。大臣が険難の時に当たりては、ただ至誠をもって君に見信(信じられる)され、その交わり固くして間(へだ)つべからず、またよく君心を開明するならば、咎なきを保つべし。それ上が篤く信ずることを欲せば、ただまさにその質実を尽くすべきのみである。多儀にして飾りを尚(たっと)ぶは燕享の礼に如くはなし。ゆえに燕享をもってこれに喩う。当に浮飾を尚ばず、ただ質実をもってすべしと言う。用いるところ一樽の酒、二簋の食、また瓦缶をもって器となすは、質実の至りである。その質実なることかくの如く、また須らく「約を納るること牖よりす」べし。納約とは君に進結する道をいう。牖は開通の義である。室の暗きがゆえに牖を設けてもって明を通ずる所以である。牖よりとは通明の処よりすることを言い、もって君心の明らかなる処に況(たと)える。詩に「天の民を牖(みちび)くは、壎の如く篪の如し」とあり、毛公は牖を道(導く)と訓じ、これもまた開通の謂いである。人臣が忠信善道をもって君心に結ぶには、必ずその明らかなる処よりして乃ち入ることができる。人心には蔽われる所あり、通ずる所あり。蔽われる所は暗き処であり、通ずる所は明らかなる処である。まさにその明らかなる処に就きてこれに告げ、信を求むれば則ち易きなり。ゆえに「納約自牖」という。よくかくの如くならば、艱険の時といえども終わりに咎なきを得るのである。かつ例えば君心が荒楽に蔽われ、ただその蔽わるるがゆえにかくの如し。力めてその荒楽の非を詆(そし)るといえども、その省みざるを如何せん。必ず蔽われざる所の事に推してこれに及ぼせば、その心を悟らしめることができる。古より能くその君を諫むる者は、その明らかなる所に因らざるは未だあらざるなり。ゆえに訐直強勁なる者は率ね多く忤(さから)いを取り、温厚明弁なる者はその説多く行われる。かつ漢祖が戚姫を愛して将に太子を易えんとするがごときは、その蔽わるる所である。群臣のこれを争う者衆し。嫡庶の義、長幼の序は明らかならざるにあらざるも、その蔽われて察せざるを如何せん。四老なる者は高祖が素よりその賢を知りてこれを重んじたものであり、これその蔽われざる明心である。ゆえにその明らかなるに因りてその事に及ぼせば、これを悟らしむること反手のごとし。かつ四老人の力は張良、群公卿および天下の士と孰れぞ。その言の切なるは周昌、叔孫通と孰れぞ。しかるに彼に従わずして此に従うものは、その蔽を攻むるとその明に就くとの異なりに由るのみ。また趙の王太后がその少子なる長安君を愛し、斉に質と為すを肯んぜざるがごとき、これその私愛に蔽わるるなり。大臣のこれを諫むること強しといえども、すでに蔽われたりという、それ能く聴かんや。その子を愛してこれをして長久に富貴ならしめんと欲するは、その心の明らかなる所である。ゆえに左師の触龍はその明に因りて長久の計をもってこれを導き、ゆえにその聴くや響きに応ずるがごとし。ただ君に告ぐる者のみかくの如きにあらず、教を為す者もまた然り。それ教えは必ず人の長ずる所に就く。長ずる所とは心の明らかなる所である。その心の明らかなる所より入りて、しかるのちにその余に推し及ぼす。孟子のいわゆる「徳を成し才を達す」とはこれである。

象に曰く、「樽酒簋貳は、剛柔際わるなり」と。象はただ首句を挙げるのみ、かくの比は多し。樽酒簋貳は質実の至りであり、剛柔が相際接する道である。能くかくの如くならば終わりに咎なきを保つべし。君臣の交わり能く固くして常なるものは誠実に在るのみ。剛柔とは四と五を指し、君臣の交際をいうのである。

周易注爻辞

重険に処して正を履み、柔をもって柔に居り、履みてその位を得、もって五を承け、五もまた位を得る。剛柔おのおのその所を得て、相犯す位なく、みな余応なくしてもって相承比す。明信顕著にして外飾を存せず。これをもって「坎」に処すれば、復た一樽の酒、二簋の食、瓦缶の器ありといえども、この至約を納れ、自ら牖に進めば、乃ちこれを王公に羞(すす)め、これを宗廟に薦むべし。ゆえに「終吉無咎」である。

周易正義爻辞

「『象』曰」より「自牖終無咎」に至る。

正義に曰く、「樽酒簋貳」とは、重険に処して履みてその位を得、もって五を承け、五もまた位を得て、剛柔おのおのその所を得、みな余応なく相承比し、明信顕著にして外飾を仮(か)りず。これをもって「坎」に処すれば、復た一樽の酒、二簋の食あり、ゆえに「樽酒簋貳」という。「用缶」とは、すでに「樽酒簋貳」ありてまた瓦缶の器を用う、ゆえに「用缶」という。「納約自牖終無咎」とは、この倹約の物を納れ、牖よりしてこれを薦むれば、王公に羞むべく宗廟に薦むべし。ゆえに「終無咎」という。

正義に曰く、「樽酒簋貳」の義を釈す。一樽の酒、二簋の食が進献を得る所以のものは、六四の柔と九五の剛とが両ながら相交際して相親しむをもってなり。ゆえにこの倹約をもって礼となすを得るのである。

出典