周易本義爻辞
「噬」の音は市制の反。
陰を以て陽に居るは悔いなり。中に居りて応を得るゆえによくこれを亡ぼす。「厥の宗」は九二を指す。「膚を噬む」とは合い易きを言う。六五は柔中の徳あり、ゆえにその象と占いは是の如し。
第5爻
六五。悔い亡ぶ。厥の宗、膚を噬む。往くも何ぞ咎あらん。
六五は尊位にありながら柔軟さを保ち、正応する九二の賢者と心を通わせることで、対立や隔たりを解消する時です。之卦が履を示すように、礼節と謙虚な態度で歩み寄れば、周囲とのわだかまりは自然にほどけていきます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 38 睽 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/38/5
離火の中位に位置する陰爻の六五は、下卦の九二と正応の関係にあり、上位者が身を低くして頼もしい相手を受け入れる象を示します。古典の解釈では「その宗、肌を噬む」という比喩が用いられ、身近な者同士の隔意が容易に解消される吉兆と伝えられています。小象伝が「往けば慶びあり」と説く通り、過去のこだわりを捨てて協調を重んじる姿勢が事態を好転させます。地位や意地に縛られず真摯に歩み寄ることで、頑なな孤立感はたちまち消え去ります。
組織やプロジェクト内で意見の相違が生じた際、権威を振りかざして従わせようとするとかえって反発を招きます。伝統的な解釈に従い、現場のキーパーソンや実務担当者に自ら声をかけ、敬意をもって意見を吸い上げることが結束を深める契機となります。履の卦が象徴する礼節ある振る舞いを徹底すれば、セクショナリズムや不信感は速やかに解消されるでしょう。現場の仲間に誠意を持って歩み寄れば、チームの連携は一気に強化されます。
すれ違いや一時的な冷戦、あるいは周囲からの反対によって生じていた心の距離が、自然と縮まる好機を迎えています。古典解釈では親密な絆の回復が示唆されており、過度な自尊心を脇に置いて温かな言葉をかけることで、相手も素直な好意を返してくれます。互いの立場を尊重しながら穏やかに接することで、絆は以前よりも確かなものへと育つでしょう。素直に優しい言葉をかければ、長引いていた誤解も穏やかに氷解します。
利害の対立や方針の不一致で停滞していた商談や契約が、信頼できる相手との直接対話によって円滑に進み始めます。之卦の履は公正なルールと信用の遵守を促しており、互いに納得のいく条件を誠実に確認し合うことが安定した成果をもたらします。独断で押し切るのではなく、気心の知れた協力者と足並みを揃えて進めるのが賢明です。透明性のある丁寧なやり取りを心がければ、滞っていた交渉も実りある合意へと向かいます。
厥の宗、膚を噬むとは、往きて慶びあるなり。
周易本義爻辞
「噬」の音は市制の反。
陰を以て陽に居るは悔いなり。中に居りて応を得るゆえによくこれを亡ぼす。「厥の宗」は九二を指す。「膚を噬む」とは合い易きを言う。六五は柔中の徳あり、ゆえにその象と占いは是の如し。
伊川易伝爻辞
六は陰柔を以て睽離の時に当たりて尊位に居り、悔いあるは知るべきである。然れども下に九二剛陽の賢ありてこれと応をなし以てこれを輔翼す。ゆえに悔い亡ぶるを得る。「厥の宗」とはその党であり、九二の正応を謂う。「膚を噬む」とはその肌膚を噬齧してこれに深く入るなり。睽の時に当たり、深く入る者にあらざれば豈によく合わんや。五は陰柔の才なりといえども、二が陽剛の道を以て輔けてこれに深く入れば、すなわち往きて慶びあり、また何の過咎かこれあらん。周の成王の幼稚にして盛王の治を興し、劉禅の昏弱にして中興の勢いありしがごときは、蓋し賢聖の輔任に由りて、周公や孔明の深く入る所以によるものである。
伊川易伝小象伝
爻辞にはただ「厥の宗膚を噬めば往きて咎なし」と言うが、象はまた重ねてその義を推し明らかにし、人君は己の才足らずといえども、もしよく賢輔を信任してその道を以て己に深く入らしむれば、以て為すあるべく、これ往きて福慶あるなりと言っている。
周易注爻辞
位にあらざるは悔いなり、応あるがゆえに悔い亡ぶ。「厥の宗」とは二を謂う。「膚を噬む」とは柔を齧むなり。三は二に比すといえども、二の噬む所にして己の応を妨ぐる者にあらざるなり。斯れを以て往けば何の咎かこれあらん。往けば必ず合するなり。
周易正義爻辞
「六五、悔い亡ぶ」から「往きて何の咎あらん」に至るまで。
正義に曰く、「悔い亡ぶ」とは位を失うは悔いなり、「応あるがゆえに悔い亡ぶ」なり。「厥の宗膚を噬む、往きて何の咎あらん」とは、宗は主なり、二を謂う。「膚を噬む」とは三を噬むを謂う。三は二を隔つといえども、二の噬む所ゆえに「厥の宗膚を噬む」と曰う。三は陰爻なるゆえに「膚」を譬えとなし、柔脆を言う。二がすでに三を噬みて五に就けば、往きて「咎なし」とすべし。ゆえに「往きて何の咎あらん」と曰うのである。
周易正義小象伝
「象に曰く」から「往きて慶びあるなり」に至るまで。
正義に曰く、「往きて慶びあるなり」とは、慶びありの言は善功が物に被り、物の頼る所となることである。五は尊に居りて当位ならずといえども、二と徳を合すれば物に頼らるる所となり、ゆえに「往きて慶びあるなり」と曰うのである。
一撮金爻辞
六五・五爻下中:舟の棹は中流に急にして、花咲くも春はまた遅し。事穏やかなるも心静まらず、惹き起こす多くの疑い。