周易本義爻辞
九五は剛陽にして中正、萃の時に当たりて尊位に居る。固より咎なきなり。もし未だ信ぜられざる者あらば、またその元永貞の徳を修めば悔亡びん。占者に戒むるに、当にこの如くあるべしとなり。
第5爻
九五:萃に位あり、咎なし。孚とせざるも、元永貞なれば悔い亡ぶ。
萃の九五は尊位にあって人々を集める立場にありますが、形式的な権威だけでは真の信頼には至りません。大いなる誠意と永続的な正しさを貫くことで疑念が晴れ、悔いは消え去ります。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 45 萃 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/45/5
九五は中正を得て集まりの中心に位置するものの、小象伝が「志いまだ光(おおい)ならざるなり」と戒めるように、地位だけでは心からの信服を得きれない局面を示します。伝統的な易学では、「元永貞」すなわち普遍的で揺るぎない徳を貫いてこそ「匪孚(まことならず)」の隔たりが解消されると説かれます。時間をかけて言行一致を示し続けることで、周囲との強固な信頼関係が築かれます。
組織の要職やプロジェクトの責任者としての権限を持つものの、役職の力だけに頼ると周囲の表面的な同調にとどまりがちです。古典的な指導論では、権威を振りかざすのではなく、公平な姿勢と長期的な信義を通じて信望を獲得することが求められます。日々の行動で誠実さを示し続けることが、チームの一体感を生む鍵となります。
関係をリードする立場にありながら、細やかな対話が不足すると相手に無用な距離感や不安を抱かせる恐れがあります。真の調和は形式的な主導権ではなく、継続的な気配りと約束を守る姿勢から育まれます。変わらぬ温かさと誠意をもって寄り添うことで、二人の絆は一層深まります。
資産を統括・管理する基盤は整っているものの、目先の優位性に甘んじた拙速な判断は慎むべき時です。伝統的な財運の知恵では、短期的利得を追うのではなく、公正で透明性の高い管理を長く続けることが推奨されます。地道で持続可能な方針を守ることが、長期的な安定と繁栄をもたらします。
「萃に位あり」とは、志いまだ光大ならざるなり。
周易本義爻辞
九五は剛陽にして中正、萃の時に当たりて尊位に居る。固より咎なきなり。もし未だ信ぜられざる者あらば、またその元永貞の徳を修めば悔亡びん。占者に戒むるに、当にこの如くあるべしとなり。
周易本義小象伝
未だ光ならずとは、匪孚(まことならず)を謂うなり。
伊川易伝爻辞
九五は天下の尊位に居り、天下の衆を集めてこれに君臨す。当にその位を正しくし、その徳を修むべし。陽剛を以て尊位に居れば、その位に称うなり。その位を有するが為になり。中正の道を得て過咎なきなり。この如くして信ぜずして未だ帰せざる者あらば、則ち当に自ら反みてその元永貞の徳を修むべし。則ち服せざるを思うこと莫くして悔亡びん。元永貞なる者は君の徳にして、民の帰する所なり。故に天下に比する道と天下を萃むる道とは、皆この三者にあり。王者既にその位を有し、またその徳あり、中正にして過咎なきに、天下尚お未だ信服し帰附せざる者あるは、蓋しその道未だ光大ならざればなり。元永貞の道未だ至らざるにあり。徳を修めて以てこれを来すにあり。苗民の命に逆らうに、帝乃ち誕いに文徳を敷きしが如し。舜の徳の至らざるに非ざるなり。蓋し遠近・昏明の異あり。故にその帰するに先後あり。既に未だ帰せざる者あれば、則ち当に徳を修むべきなり。所謂徳とは元永貞の道なり。元は首なり、長なり。君徳の庶物に首出すとなり。君として群生に長たるに尊大の義あり、主統の義あり。而もまた恒久にして貞固なれば、則ち神明に通じ四海に光らかにして、服せざるを思うこと莫けん。乃ち匪孚なること無くしてその悔亡ぶるなり。所謂悔とは、志の未だ光ならず、心の未だ慊らざるなり。
伊川易伝小象伝
象は爻の上句を挙ぐ。王者の志は必ず誠信を天下に著わさんと欲し、感あれば必ず通じ、含生の類、懐帰せざるは莫し。もし尚お匪孚あるは、これその志の未だ光大ならざるなり。
周易注爻辞
聚まるの時に処りて、最も盛位を得たり。故に「萃に位あり」と言うなり。四が専らにして拠り、己が徳行われず、自ら守るのみ。故に「咎なし、孚ならず」と言うなり。夫れ仁を修め正を守らば、久しくして必ず悔消ゆ。故に「元永貞にして、悔亡ぶ」と言うなり。
周易正義爻辞
「九五」より「悔亡ぶ」に至る。
正義に曰く、九五は聚まるの時に処りて、最も盛位を得たり。故に「萃に位あり」と言うなり。既に盛位を得たり、故に「咎なし」。「孚ならず」とは、良に四が専らにして拠り、己が徳化行われず、信のものに孚ならず、自ら守るのみなるに由る。故に「咎なし、孚ならず」と言うなり。もし能く夫の大徳を修め、久しくその正を行わば、則ちその悔消ゆべし。故に「元永貞にして、悔亡ぶ」と言うなり。
周易正義小象伝
正義に曰く、「志未だ光ならざるなり」とは、盛位ありと雖も、然れども徳未だ行われず、久しくして乃ち悔亡ぶ。今この時は志意未だ光大ならざるなり。