周易本義爻辞
禴は羊と略の反切。
二は五に応ずるも二陰の間に交ざる。必ず牽引して萃まりてこそ吉にして咎なきを得る。また二は中正柔順、虚中にして上りて九五の剛健中正、誠実にして下に交わる者に応ず。ゆえに祭を卜する者はその孚誠あれば薄物といえどももって祭るべしとする。
第2爻
六二:引かれて吉にして咎なし。孚あらば乃ち禴を用うるに利あり。
萃の六二は、柔順中正の徳を備え、至誠の心によって上位の指導者と響き合い大きな好機を得る象徴です。外見の華美さに頼ることなく、内面の実直さを保ち続けることで滞りなく道が開かれます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 45 萃 — 第2爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/45/2
下卦の中正を得た六二は、尊位にある九五と陰陽の正しい応じ合いを保ち、小象伝でもその中庸の徳が揺るがないことが称えられています。爻辞に簡素な夏の祭祀を意味する「禴(やく)を用うるに利ろし」とある通り、伝統的易学では形式的な贅沢よりも誠意こそが人を結びつけると解釈されます。小細工を弄さず素朴な真心を行動で示すことで、力強い導きを得られます。
着実な職務遂行と実直な人柄が評価され、実力者や上層部から自然と引き立てを受けやすい良好な流れにあります。古典的な解釈では、功を焦って大げさな自己アピールをするよりも、日々の誠実な仕事ぶりを貫くことこそが最大の武器になるとされます。与えられた役割を丹念に果たす姿勢が、確固たる信頼と新たな機会を呼び込みます。
表面的な派手さや過剰な演出を必要とせず、心を通わせ合える深い絆が育まれやすい穏やかな運気です。互いの本質を認め合う素朴なやり取りの中にこそ、揺るぎない安心感が宿ると易理は説いています。飾らない日常の気配りを大切にすることが、関係をより強固なものにします。
見栄による出費や派手な投資を控え、質実剛健な資金管理を行うことで堅実な成果が期待できる時期です。伝統的な観点では、身の丈に合った誠実な取引や信頼できる相手との共同作業が長期的利益をもたらすとされます。不要な浪費を削ぎ落とし本質的な価値に集中することが、確かな財の保全につながります。
「引かれて吉にして咎なし」とは、中いまだ変ぜざるなり。
周易本義爻辞
禴は羊と略の反切。
二は五に応ずるも二陰の間に交ざる。必ず牽引して萃まりてこそ吉にして咎なきを得る。また二は中正柔順、虚中にして上りて九五の剛健中正、誠実にして下に交わる者に応ず。ゆえに祭を卜する者はその孚誠あれば薄物といえどももって祭るべしとする。
伊川易伝爻辞
初は陰柔にして中正ならず、恐らくはその孚を終えること能わず。ゆえにその才に因りてこれが戒めを為す。二は陰柔といえども中正を得たり。ゆえに戒むといえども微辞なり。凡そ爻の辞の得失の二端に関わるものは、法となり戒めとなり、また各々その才に随いて設けらる。「引かれて吉にして咎なし」の引とは相牽くことである。人の交わりは相求むれば合し、相待てば離る。二と五とは正応にして当に萃まるべき者である。しかるに相遠く、また群陰の間に在り。必ず相牽引してこそその萃を得るのである。五は尊位に居り中正の徳あり、二もまた中正の道をもって往きてこれと萃まる。これ君臣の和合である。その共に致す所は豈に量るべけんや。ここをもって吉にして咎なきを得る。「咎なし」とは善く過ちを補うことである。二と五が相引かざれば過つことになる。「孚あれば乃ち禴(やく)を用うるに利ろし」とは、孚とは信の内に在ることであり誠をいう。禴とは祭の簡薄なるものである。菲薄にして祭るは備物を尚(とうと)ばず、直ちに誠意をもって神明に交わることである。「孚あれば乃ち」とは、その孚あらば文飾を用いず、専ら至誠をもって上に交わるべしということである。禴をもって言うのは、ただその誠を薦むるのみを言うのである。上下相聚まりて飾りを尚ぶは、これ未だ誠ならざるなり。けだしその中実なる者は外に飾りを仮りず、禴を用うるの義である。孚信とは萃の根本である。独り君臣の聚まりのみならず、凡そ天下の聚まりは誠にあるのみである。
伊川易伝小象伝
萃の時は聚を得るをもって吉となす。ゆえに九四は上下の萃を得る者となる。二と五は正応といえども異処にして間(へだ)たりあり、これまさに萃まるべきにして未だ合せざる者である。ゆえによく相引きて萃まれば吉にして咎なしとするのは、中正の徳を有して未だ遽(にわか)には改変に至らざるによる。変ずれば相引かざるなり。或るひと曰く、二はすでに中正の徳あり、しかるに象に「未だ変ぜざるなり」と云う辞は足らざるが若きは何ぞや、と。答えて曰く、群陰が比処するはこれその類聚であり、まさに萃の時に当たりその間に居りて自ら守りて変ぜず、遠く正応を須(ま)つは、剛立なる者にして能くす。二は陰柔の才であり、中正の徳あるをもって未だ変ずるに至らざるを覬(のぞ)むべきのみ。ゆえに象はその意を含みてもって戒めを存するのである。
周易注爻辞
萃の時に居り、柔を体として位に当たり、坤の中に処し、己独り正に処して衆と相殊なる。操を異にして聚まり、民の多く僻(かたよ)る中に独り正しき者は危うし。いまだ体を変じて害を遠ざくる能わず、ゆえに必ず引かれて然るのちに「吉」にして「咎なし」となるのである。禴とは殷の祭名であり、四季の祭の省(うす)きものである。聚の時に居り中正に処して、忠信をもってこれを行う。省薄をもって鬼神に薦むるのである。
周易正義爻辞
「六二」から「用うるに禴に利ろし」に至るまで。
正義に曰く、「引かれて吉にして咎なし」とは、萃の体たるや相従い就くを貴び、聚の道乃ち成る。今六二は陰をもって陰に居り、重ねて坤体にあり、静退を志す。これ中を守りて未だ変ぜず、相従わんと欲せざる者である。衆に乖き時に違えば危害を致すゆえに、牽引を須ちて乃ち「吉」にして「咎なし」を得る。ゆえに「引かれて吉にして咎なし」というのである。「孚あれば乃ち禴を用うるに利ろし」とは、禴は殷の春祭の名である。四季の祭の最も薄きものである。衆に乖くといえども志は牽引を須つ。しかれども中に居り正を得、忠信にして行えば、省薄をもって鬼神を祭るべし。ゆえに「孚あれば乃ち禴を用うるに利ろし」というのである。
周易正義小象伝
正義に曰く、「中未だ変ぜざるなり」とは、その引かれて乃ち吉なる所以を釈するに、まことに中に居りて未だ変ぜざるによるということである。
一撮金爻辞
六二二爻・上中:笑いの中に不足を生じ、内外ともに愁泣を見る。雲散じて月の光輝き、禍を転じて当に福と成すべし。