周易本義爻辞
その中徳の貴きを有ちて行くなれば、故に飾るを尚(たっと)ばず。
第5爻
六五:帝乙、妹を帰がす。その君の袂(たもと)は、その娣の袂の良きに如(し)かず。月幾(ほとん)ど望(ぼう)、吉なり。
六五は尊位にあって柔順と中庸の徳を備え、外見の華美よりも内実の徳義を重んじることで大吉を得る兆しを示します。古典では帝乙が妹を嫁がせた故事になぞらえ、飾り気のない誠実さが真の尊厳を生むと説かれています。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 54 归妹 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/54/5
六五は中位に座して九二と正応し、地位の高さに驕ることなく控えめな美徳を体現する位置にあります。爻辞の「月に幾望し」という象徴は、外的な誇示を退けて内面を満たすことで、満月に近づくような円満な吉祥が得られる構図を示しており、之卦の兌は和やかな信頼を映し出します。見栄を捨てて本質的な誠意を尽くす姿勢が、周囲からの真の敬意を引き寄せます。
組織を統括する立場において、過剰な権威付けや形式的な誇示を避け、実務への誠実さと謙虚な配慮を示すことが求心力を高めます。部下の成果を正当に立てて自らは基盤を支える実利的な姿勢が、強固なチームワークと継続的な協力を呼び込みます。肩書や見かけに頼らず実力と誠意で接することが、確固たる信頼を築く鍵となります。
外面的な演出や派手なロマンスに固執するよりも、日々の暮らしのなかの素朴な気配りや精神的な結びつきを深める好機です。伝統的な解釈では質素な装いが深い徳を物語るように、背伸びをしない等身大の優しさが二人の絆を穏やかに育むとされます。飾らない本音と思いやりの積み重ねが、満ち足りた関係をもたらします。
見栄のための過度な消費や外聞を気にした出費を抑え、生活や活動の基盤を整える実質的な資金管理が功を奏します。派手な流行や形式に惑わされず、安全性と実用性を重視した堅実な配慮が資産の安定を導きます。体裁を取り繕う支出を省き、真に必要な価値へ資本を向けることが豊かさを守る道です。
帝乙、妹を帰がす、その娣の袂の良きに如かざるなり。その位は中にあり、貴きを以て行くなり。
周易本義爻辞
その中徳の貴きを有ちて行くなれば、故に飾るを尚(たっと)ばず。
伊川易伝爻辞
尊位に居るは、妹の貴高なる者なり。下は二に応ずるは下嫁の象となす。王姫の下嫁は古より然り。帝乙に至りて後に婚姻の礼を正し、男女の分を明らかにせり。至貴の女と雖も、柔巽の道を失い、貴驕の志有るを得ず。故に『易』において陰の尊にして謙降する者は、則ち「帝乙妹を帰(とつ)がす」と曰う。泰の六五が是れなり。貴女の帰ぐは、唯だ謙降して礼に従うのみが尊高の徳なり。容飾を事として人に悦ばれんとはせざるなり。娣媵(ていえい)なる者は容飾を事とする者なり。衣袂(いべい)は容飾をなす所以なり。六五は尊貴の女にして礼を尚びて飾るを尚ばず。故に袂はその娣の袂の良きに及ばざるなり。良とは美好なり。月望は陰の盈つるなり。盈つれば則ち陽に敵す。幾望(きぼう)は未だ盈つるに至らざるなり。五の貴高は、常に盈極に至らざれば則ちその夫に亢(こう)せず、乃ち吉となるなり。女の尊貴に処るの道なり。
象に曰く、「帝乙妹を帰がす、その娣の袂の良きに如かざるなり」とは、その位、中に在りて貴を以て行くなり。帝乙が妹を帰がすの道を以て、その袂がその娣の袂の良きに如かずと言えるは、礼を尚びて飾るを尚ばざるなり。五は柔中を以て尊高の位に在り、尊貴を以て中道を行うなり。柔順にして降屈し、礼を尚びて飾るを尚ばざるは、乃ち中道なり。
周易注爻辞
帰妹の中において、独り貴位に処る。故にこれを「帝乙妹を帰がす」と謂うなり。袂は衣の袖にして、礼容をなす所以の者なり。「その君の袂」とは、帝乙に寵ぜらるる所なり、即ち五なり。帝乙に崇飾せらるるが為に、故にこれを「その君の袂」と謂うなり。配は九二に在り、兌は少女にして震は長男なり。長を以て少に従うは、少を以て長に従うの美たるに若かざるなり。故に「その娣の袂の良きに若かず」と曰うなり。位は中に在り、貴を以て行い、極陰の盛んなるを以て斯の配に適ぐ。少きに若かずと雖も、往けば亦た必ず合す。故に「月幾望、吉」と曰うなり。
周易正義爻辞
「六五帝乙」より「幾望吉」に至るまで。
正義に曰く:「帝乙妹を帰がす」とは、六五が帰妹の中に居り、「独り貴位に処る」は、是れ帝王の妹を嫁がす所なり。故に「帝乙妹を帰がす」と曰う。「その君の袂、その娣の袂の良きに如かず」とは、六五は貴位に処ると雖も、卦は是れ長陽の卦なり。若し爻を以て人となさば、即ち是れ婦人の道なり、故に帝乙の妹となす。既に長卦に居れば、乃ち是れ長女の象にして、その君とは即ち五なり。袂とは衣の袖なり、挙げて斂(おさ)めて以て礼容となす所なり。帝王が妹を嫁がすに、之が為に崇飾す。故に「その君の袂」と曰うなり。「配は九二に在り、兌は少女にして震は長男なり、長を以て少に従う」とは、少に従うべしと雖も、その君の崇飾の袂有りと雖も、猶お少を以て長に従うの美たるに若かざるなり。故に「その娣の袂の良きに如かず」と曰うなり。「月幾望吉」とは、陰にして貴盛なること、月の望に近きが如し。斯れを以て配に適ぐは、少を以て長に従うに如かずと雖も、然れども貴を以て行けば、往けば必ず志を合す、故に吉を得るなり。故に「月幾望、吉」と曰うなり。
周易正義小象伝
「象曰」より「以貴行也」に至るまで。
正義に曰く:「帝乙妹を帰がす、その娣の袂の良きに如かざるなり」とは、その六五が居る所の貴位なれども、長は少に如かざるを言うを釈くなり。必ずしも少女ならずして長男に従うを言うなり。「その位、中に在り、貴を以て行くなり」とは、「月幾望、吉」を釈くなり。既に長を以て少に適ぎ、帰妹の美に非ざるも吉を得る者は、その位、五の中に在り、貴盛を以て行けば、往く所必ず合するを得て吉を獲るなり。