周易本義小象伝
「輿屍」とは、師徒が撓敗し、屍を輿(くるま)に乗せて帰るを謂うなり。陰をもって陽におり、才は弱く志は剛、中ならず正ならずしてその分にあらざるを犯す。故にその象占かくのごとし。
第2爻
九二:師に在りて中す、吉にして咎無し。王三たび命を錫う。
「地水師」の九二は全卦唯一の陽爻として下卦の中正を得ており、主帥として厚い信任と統率力を担う姿を象徴します。公明正大な態度で重責を果たすことで、周囲の信望と正当な評価が集まる爻です。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 7 师 — 第2爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/7/2
九二は剛健の徳をもって坎の中位に居り、五爻の柔順な君主と正応をなす得難い配置です。小象伝に「天寵を承くるなり」とあるように、私心のない中道の振る舞いが多大な協力と権限の委譲を引き寄せます。偏りのない誠実な判断を貫くことで、自ずと周囲を納得させることができます。
組織において実質的な指導役や調整役を任され、上層部からの信任と現場からの支持を両立できる好機にあります。伝統的な解釈では功績に対して正当な栄誉が授けられる兆候とされ、公平な評価と明確な判断が求められます。誠意と責任感を持って旗振りを担うことが、大きな成果につながります。
パートナーシップにおいて精神的な支柱となり、包容力と決断力をもって関係を牽引できる充実した時期です。お互いへの敬意と信頼が深く通い合い、日常の細かな懸念事項も穏やかに解消へと向かいます。包み込むような安定感を示すことで、二人の結びつきはより確かなものになります。
共同事業や組織的な金銭管理において、誠実な運用と透明性の高い分配が良好な循環を生み出します。易の伝統では、利を独占せず公正に分かち合う姿勢が長期的な繁栄を呼び込むと説かれます。約束事を忠実に守り公明正大に資産を扱うことが、健全な財政基盤を強固にします。
師に在りて中して吉とは、天の寵を承くるなり。王三たび命を錫うとは、万邦を懐くるなり。
周易本義小象伝
「輿屍」とは、師徒が撓敗し、屍を輿(くるま)に乗せて帰るを謂うなり。陰をもって陽におり、才は弱く志は剛、中ならず正ならずしてその分にあらざるを犯す。故にその象占かくのごとし。
伊川易伝爻辞
師卦はただ九二の一陽のみ衆陰の帰する所となり、五は君位に居りてその正応たり。二は師の主としてその事を専制する者なり。下に居りてその事を専制するは、ただ師においてのみ可なり。古より将を命ずるに閫外の事はこれを専制することを得たり。師にありて専制し中道を得るが故に吉にして咎なし。蓋し専らに恃めば下の道たるを失い、専らにせざれば成功の理なし、故に中を得るを吉と為す。およそ師の道は威と和と並び至れば吉なり。すでにこれに処することその善を尽くせば、よく成功して天下を安んず。故に王は寵命を錫うこと三度に至るなり。およそ事の三に至るは極まりなり。六五は上にありて、すでに専意に任じ、またその寵数を厚くす。蓋し礼称わざれば威重からずして下は信ぜざるなり。他卦において九二が六五に任ぜらるる者ありといえども、ただ師のみ専らその事を主とし、衆陰の帰する所となるが故にその義もっとも大なり。人臣の道は事においてあえて専らにするところなきも、ただ閫外の事のみはこれを専制す。これを制するは己にありといえども、師の力に因りて致すを得る者は、みな君の与うるところにして職として当に為すべきなり。世の儒者が魯が周公を祀るに夫子の礼楽を以てするを論じて、周公は人臣のなし能わざるの功をなせば人臣の用うるを得ざるの礼楽を用いるべしとなすは、これ人臣の道を知らざるなり。それ周公の位に居らば周公の事をなし、その位に由りて能く為す者はみな当に為すべきところなり。周公は乃ちその職を尽くせるのみ。子の道もまた然り。ただ孟子のみこの義を知るが故に「親に事うること曽子のごとき者ならば可なり」と曰い、未だかつて曽子の孝をもって余りありとなさざるなり。蓋し子の身のよく為すところの者はみな当に為すべきところなり。
伊川易伝小象伝
師に在りて中にして吉なるは、天の寵任を承くるを以てなり。天とは王を謂うなり。人臣は君の寵任にあらざれば、安んぞ専征の権を得て成功の吉あらんや。『象』は二が専らその事を主とするをもって、故にこの義を発す。前に云う所の世儒の見とは異なるなり。王が三度恩命を錫いてその成功を褒するは、万邦を懐くる所以なり。
周易注爻辞
剛をもって中におり、上に応ず。師にありてその中を得る者なり。上の寵を承け、師の主となり、任大きく役重し、功なければ凶なり、故に吉にして乃ち咎なきなり。師を行いて吉を得るは、邦を懐くるより善きはなし。邦懐き衆服す、錫これより重きはなし、故に乃ち成命を得るなり。
周易正義爻辞
「九二」より「王三錫命」に至る。
正義に曰く、「在師中吉」とは、剛をもって中におりて五に応ず、これ「在師中吉」なり。「無咎」とは、上の寵を承け、師の主となり、任大きく役重し、功なければ凶なり、故に吉にして乃ち咎なし。「王三錫命」とは、功あるをもっての故に王が三度錫命を加うるなり。
注の「剛をもって中におり」から「故に乃ち成命を得るなり」まで。
正義に曰く、「師にありて中を得る」とは、注の意を観るに、「在師中」をもって句となし、その「吉」の字を下に従属せしむ。『象』の文「在師中吉承天寵」を観れば、則ち「吉」の字は上に従属するに似たり。この「吉」の一字は上下を兼ね該ねたり、故に注文は下に従属し、『象』文は上に従属す。ただ『象』はその「無咎」の字を略す、故に「吉」は「師中」に従属するなり。「故に乃ち成命を得る」とは、『曲礼』を案ずるに「三賜、車馬に及ばず」と云う。一命にして爵を受け、再命にして服を受け、三命にして車馬を受く。三賜三命にしてその尊さ成るを得る、故に「乃ち成命を得る」というなり。
周易正義小象伝
正義に曰く、「承天寵」とは、「在師中吉」の義を釈すなり。まさに五の恩寵を承受するを謂う、故に「中吉」なり。「懐万邦也」とは、功ありてよく万邦を招懐するをもって、故に「王三錫命」を被るなり。
一撮金爻辞
九二・二爻、上上:秋月雲開けてのち、薫風雨過ぐるの時。もし楚国の旧知己に逢わば、等閑に一薦して疑いを須いず。