East Almanac
日本語

7. 地水师 (师)

第1爻

この爻が動けば に変じる 19. 地泽臨 (临)
初六:師は出づるに律を以てす、否臧なれば凶。

現代解釈

「地水師」の初六は軍の出陣にあたり、厳格な規律と方針の確立を説く初爻です。最初の一歩において秩序を欠けば、後々の混乱と破綻を招くと警告しています。

AIにこのページを聞いてみる

リンクはプロンプトを事前入力するだけで送信しません — 主導権はあなたに。リンクが効かない場合は下のプロンプトをコピーしてください。

プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 7 师 — 第1爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/7/1

易の占い

初六は陽位に陰爻が居て不正であり、険難を象徴する坎水の最底辺にあって行動を起こす段階を示します。小象伝が「律を失えば凶なり」と戒めるように、出発点で明確な基準を定めなければ統制を失いかねません。何事も着手する前に確固たる手順と原則を敷くことが肝要です。

仕事・キャリア

新たな事業や職務の立ち上げ期においては、業務フローや責任所在の厳密な定義が最優先課題となります。初期の段階で指示系統が曖昧なまま進行すると、のちに認識の齟齬や業務の押し付け合いが生じやすくなります。最初にルールと役割分担を徹底することが、組織を安定して前進させる鍵となります。

恋愛・対人

関係性の初期段階では、互いの価値観や譲れない一線を早い段階で共有しておくことが求められます。曖昧な妥協や不満の放置を初期に見過ごすと、将来的な信頼関係の歪みへと発展するおそれがあります。お互いの境界線を誠実に確認し合う姿勢が、息の長い絆を育てます。

金運

収支計画や予算管理の規律を厳格に整えることが、この時期の資産保全において極めて重要です。古典の教えが示すように、初期の出納管理が緩むと無自覚な浪費や想定外の損失を招きやすくなります。支出の線引きをあらかじめ明確にしておくことで、資金繰りの破綻を防ぐことができます。

参考資料

原文

小象伝

師は出づるに律を以てすとは、律を失えば凶なるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

「律」は法なり。「否臧」は不善を謂う。晁氏曰く、否の字は先儒多く「然らず」となす。卦の初めに在りて師の始めと為す。出師の道は当にその始めを謹むべし。律をもってすれば吉、不臧なれば凶なり。占う者を戒むるに、当に始めを謹みて法を守るべしとなり。

周易本義小象伝

九二は下に在りて衆陰の帰するところとなり、剛中の徳あり。上は五に応じ寵任さるる所となる。故にその象占かくのごとし。

伊川易伝爻辞

初は師の始めなり、故に出師の義および行師の道を言う。邦国において師を興すについて言えば、義理に合えば是となり、律は法なり。乱を禁じ暴を誅せんとして動くを謂うなり。いやしくも動くこと義をもってせざれば、善しといえどもまた凶道なり。善とは克勝を謂い、凶とは民を殃い義を害するを謂う。師を行うにおいて言えば、律とは号令節制を謂う。師を行うの道は号令節制をもって本となし、衆を統制する所以なり。律をもってせざれば、善しといえどもまた凶なり。たとい勝捷せしむるともなお凶道なり。師を制するに法なくして、幸いにして敗れずかつ勝つ者は時にこれあり。聖人の戒むるところなり。

伊川易伝小象伝

師の出づるは当に律をもってすべし。律を失えば凶なり。幸いにして勝つといえどもまた凶道なり。

周易注爻辞

師の始めとなし、師を整斉する者なり。衆を斉うるに律をもってし、律を失えば散ず。故に師の出づるには律をもってす、律は失うべからず。律を失いて臧(よ)きも、否(あ)しきと何ぞ異ならんや。令を失いて功あるも、法に赦さざるところなり。故に師の出づるに律をもってせざれば、否臧ともに凶なり。

周易正義爻辞

「初六、師出」より「否臧凶」に至る。

正義に曰く、「初六師出以律」とは、律は法なり。初六は師の始めとなし、これ師衆を整斉する者なり。すでに師衆を整斉し、師の出づる時をして、まさにその法制をもってこれを整斉すべきが故に、「師出以律」というなり。「否臧凶」とは、もしその律を失いて師を行わば、否と臧とを問わず、みな凶となす。「否」は破敗を謂い、「臧」は功あるを謂う。然れども「否」は破敗にして、すなわちこれ凶なり。何ぞ重ねて「否臧凶」というを須いんや。本意の明らかにするところは、臧といえどもまた凶なるを言わんとす。「臧」の文すでに単なるが故に「否」をもってこれに配し、臧の凶なるを盛んに言わんと欲して単言すべからず、故に否と臧とともに凶となすというなり。

注の「為師之始」から「否臧皆凶」まで。

正義に曰く、「師の始めをなし、師を斉うる者なり」とは、師の初爻なるをもって、故に「師の始めをなす」という。師の首にありて、まず唱導を発始し、これ師衆を整斉する者なり。「律を失いて臧きも、否と何ぞ異ならん」とは、もし法律を棄失し、法を奉じて行わずば、功ありて臧しといえども、否と何ぞ異ならんや。「令を失いて功あるも、法の赦さざるところなり」とは、「何ぞ否と異ならん」の義を解くなり。令とは法律なり。もしこの法令を失わば、功労ありといえども軍法の容赦せざる所なり、故に「何ぞ否と異ならん」という。然るに閫外の事は将軍の載するところにして、事に臨みて宜しきを制し、必ずしもみな君命に依らず、何ぞ功ありて「法の赦さざるところ」となすを得んや。およそ師を為すの体は理は一端にあらず、事を量り宜しきを制して時に随いて進退す、これ将軍の制するところにして時に随いて施行す。もし苟も私情に順いて故らに君命に違背し、律を犯し法に触るれば、事は赦すべからざるのみ。

周易正義小象伝

正義に曰く、「失律凶」とは、「師出以律」の義を釈す。律をもってせざるべからざる所以の者は、律を失えば凶なるをもってなりと言う。経の文を反して、もって経の義を明らかなり。

出典