East Almanac
日本語

1. 乾為天 (乾)

第5爻

この爻が動けば に変じる 14. 火天大有 (大有)
九五:飛竜天にあり、大人を見るに利ろし。

現代解釈

乾為天の九五は「飛龍天に在り、大人を見るに利ろし」と謳われ、剛健中正の徳と天命が調和する絶頂期を表します。大いなる志を掲げ、優れた人材と力を合わせることで社会的な調和と実りを築く象徴です。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 1 乾 — 第5爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/1/5

易の占い

尊位にあって中正を極め、変卦が豊かな実りと公明正大さを意味する「火天大有」となるため、力量と影響力が最大級に発揮される構造です。伝統的な解釈では、天を舞う龍のごとく広大な視野を持ち、有能な補佐役や同志を尊重して公の善のために動くべきと説かれます。平たく言えば、これまでの努力が大きく実を結ぶ時期であり、周囲と成果を分かち合う寛容さが更なる安定をもたらします。

仕事・キャリア

リーダーシップや専門的な権威が確立され、大きな方針を決定し組織を導くのに最も適した好機です。伝統的な統率の原則では、自己の功績のみに頼るのではなく、優秀な仲間を登用して権限を委ねることが成功を長く維持する鍵とされます。要するに、自らのビジョンを堂々と掲げつつ周囲の才能を活かすことで、卓越した成果を残せます。

恋愛・対人

深い相互理解と敬意に満ちた、極めて円熟したパートナーシップを築きやすい充実した周期です。古典的な倫理観では、互いの尊厳を認め合い、共に高め合う姿勢が家庭や関係性の永続的な幸福を生むと見なされます。一言で言えば、強い信頼関係に恵まれており、相手への感謝を言葉と行動で示すことで揺るぎない絆が続きます。

金運

本業の発展や確固たる社会的信用を背景に、資金の基盤が大きく安定し実りをもたらす流れです。古くからの富裕の教えでは、盛運の時期ほど利己的な散財を戒め、持続可能な基盤や社会的な意義のある分野に配分することが推奨されます。端的に言えば、正道によって得られた実りを大切にし、長期的で堅実な管理を維持することが最善です。

参考資料

原文

小象伝

飛竜天にありとは、大人の為すなり。

古典注釈

周易本義爻辞

剛健中正をもって尊位に居る。あたかも聖人の徳をもって聖人の位に居るかのようである。ゆえにその象はこのようになり、占法は九二と同じであるが、ただ見るに利ろしい大人とは上に在る大人である。もしその位にあるならば、下に在る九二の大人を見るに利ろしいということになる。

周易本義小象伝

「造」は徂早の反。「造」は作(興起)のようである。

伊川易伝爻辞

進みて天位に位するなり。聖人がすでに天位を得たならば、下に在る大徳の人を見るに利ろしくして共に天下の事を成し、天下ももとよりあの大徳の君を見るに利ろしいのである。

伊川易伝小象伝

大人のなすことは聖人の事である。

周易注爻辞

歩まず躍らずして天に在る、飛ぶにあらずして何であろうか。ゆえに「飛龍」という。龍徳が天に在れば大人の路は亨通する。およそ位は徳をもって興り、徳は位をもって叙べられる。至徳をもって盛位に処するならば、万物が仰ぎ見るのは宜しいではないか。

周易正義爻辞

「九五」から「大人を見るに利ろし」まで。正義に曰く、九五の陽気が盛んにして天に至るゆえに「飛龍天に在り」という。これは自然の象であり、聖人が龍徳をもって飛騰し天位に居り、徳が天下に具わって万物の仰ぎ見るところとなるかのようである。ゆえに天下はこの王位に居る大人を見るに利ろしいのである。

注の「龍徳天に在り」。正義に曰く、「龍徳天に在れば、大人の路亨る」とは、聖人が龍徳をもって天位に居るならば大人の道路は亨通することを得る。あたかも文王が羑里に拘禁された時は大人の道路がまだ亨通していなかったようなものである。「位は徳を以て興る」とは、位とは王位をいい、聖徳の人が王位を興すことができることをいう。「徳は位を以て叙ぶ」とは、聖徳の人が王位に居ることを得てはじめてその聖徳を敷衍叙述できることをいう。孔子は聖徳を備えていたがその位がなかったため、徳が位をもって叙べられなかったようなものである。

周易正義文言伝

「九五に曰く」から「各々其の類に従うなり」まで。正義に曰く、これは九五の爻の義を明らかにしたものである。「飛龍天に在り」とは、天が広く衆物を感応させ衆物がこれに応ずるゆえに「大人を見るに利ろし」というのである。大人が衆物と感応することに因り、広く衆物の相感応することを陳べて聖人が作興して万物が瞻睹することを明らかにして結んでいる。「同声相応ず」とは、宮を弾けば宮が応じ角を弾けば角が動くがごときがこれである。「同気相求む」とは、天が雨降らんと欲すれば柱の礎が潤うがごときがこれである。これら二者は声と気が相感応することである。「水流湿、火就燥」とは、この二者は形象をもって相感応し、水が地に流れる時はまず湿った所に向かい、火が薪を焼く時はまず乾いた所に就く。この同気たる水火はいずれも無識でありながら相感応し、まず自然の物を明らかにするゆえに初めに発してこれを言ったのである。「雲従龍、風従虎」とは、龍は水の獣であり雲は水の気である。ゆえに龍が吟ずれば景雲が生ずる、これが「雲従龍」である。虎は威猛の獣であり風は震動の気であり、これも同類相感応することである。ゆえに虎が嘯けば谷風が生ずる、これが「風従虎」である。この二句は有識の物が無識を感応させることを明らかにし、順序として次第に有識へと向かって述べている。「聖人作きて万物睹る」とは、この二句は正しく「飛龍天に在り大人を見るに利ろし」の義を解釈したものである。「聖人作く」は「飛龍天に在り」であり、「万物睹る」は「大人を見るに利ろし」である。上の数事の名を陳べたのはもともとこれを明かすためであり、有識が有識を感応させることである。これも同類相感応することであり、聖人には生養の徳があり万物には生養の情があるゆえに相感応するのである。「天に本づく者は上を親しみ、地に本づく者は下を親しむ」とは、上では感応を陳べたといえども数事を明かしたにすぎない。ここでは天地の間に相感応する義を広く解釈している。荘氏に曰く「天地絪縕として二気を和合し、共に万物を生ず」と。しかし万物の体には天気に感ずることの偏に多いものと、地気に感ずることの偏に多いものとがある。ゆえに『周礼・大宗伯』に「天産」「地産」があり、『大司徒』に「動物」「植物」という。もと気を天に受ける者は動物の含霊の類であり、天体が運動すれば含霊の物もまた運動し、これは上を親しみ附くことである。もと気を地に受ける者は植物の無識の類であり、地体が凝滞すれば植物もまた移動せず、これは下を親しみ附くことである。「各々其の類に従う」とは、天地の間で相感応することは各々その気類に従うことを言っている。この類は聖人が同類をもって万物を感応させることに因るゆえに同類をもって言ったのである。造化の性、陶染の器たるや、ただ同類が相感応するだけでなく、異類が相感応するものもある。磁石が針を引き、琥珀が芥を拾い、蚕が糸を吐けば商弦が絶え、銅山が崩れれば洛陽の鍾が応ずるがごとき、その類は甚だ多く一々言うことは難しい。みな冥理の自然であり、その所以たるゆえんを知ることはできない。感とは動かすことであり応とは報いることである。いずれも先なるものが感であり後なるものが応である。近事において相感応するだけでなく、遠事において遥かに相感応するものもある。周の世に麟を得たのが漢の高祖の応となり、漢の時の黄星が後に曹公の兆となったがごときである。感応の事は広く一言では尽くせないが、今は理を釈することに意があるため、ただ大綱を略挙したのみである。

出典