周易本義爻辞
まさに中を過ぎんとし、泰極まりて否まさに来たらんと欲する時である。恤とは憂いである。孚とは期するところの誠信である。占う者に艱難にして貞を守れば咎なくして福ありと戒めている。
第3爻
九三:平らかにして陂かざるはなく、往きて復らざるはなし。艱みて貞なれば咎なし。其の孚を恤うること勿かれ、食に福あり。
九三は下卦の極みに位置し、平坦な道にも起伏が生じるという循環の節目にあたって、警戒心と誠実さを保つ重要性を説きます。順境にあっても浮かれず、試練に対して忍耐強く正道を維持することで、最終的な福を保つことができます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 11 泰 — 第3爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/11/3
九三は陽の極まる天地の境にあり、順調な泰平が徐々に転換点を迎える自然の法則を象徴しています。伝統的な解釈では「平にして陂かざるはなく、往きて復らざるはなし」とされ、起伏の訪れを予見しながら艱難に耐えて正しさを守る姿勢こそが咎めを免れる道と説かれます。変卦の地沢臨が示すように、状況の変化を先取りして自制を働かせることが肝要です。驕りを捨てて誠実な努力を重ねることで、局面の変動を乗り越えて幸いを守ることができます。
順調に進んできた業務や計画に一時的な踊り場や変化の兆しが現れやすい段階です。これまで通りのやり方に固執して強引に押し通すのではなく、想定外の事態に備えて業務を見直す慎重さが求められます。誠実に目の前の課題へ対応し続けることで、環境の変化にも揺るがない地歩を確立できます。
初期の華やかな盛り上がりから日常の現実的な課題へと関係性が移り変わる時期です。感情の浮き沈みや些細なすれ違いが生じても、相手を疑わずに誠実な対話を続けることが安定を取り戻す鍵となります。変化を自然なサイクルと受け止めて互いを気遣う姿勢が、絆をより強固なものにします。
好調な流れを永遠のものと過信せず、予期せぬ出費や市場の波に備えた守りの姿勢が求められます。衝動的な支出や拡大路線を控え、手元流動性を確保して予備の資金を固めることが賢明です。過度な楽観を戒めて堅実な管理に徹することで、資産の安定を維持しやすくなります。
往きて復らざるはなしとは、天地の際なり。
周易本義爻辞
まさに中を過ぎんとし、泰極まりて否まさに来たらんと欲する時である。恤とは憂いである。孚とは期するところの誠信である。占う者に艱難にして貞を守れば咎なくして福ありと戒めている。
伊川易伝爻辞
三は泰の中央に居り、諸陽の上に在りて、泰の極盛である。物の理は循環のごとく、下に在る者は必ず昇り、上に居る者は必ず降る。泰久しければ必ず否となる。ゆえに泰の盛んにして陽がまさに進まんとするにあたり、これを戒めて曰く、常に安平にして険陂ならざるものはなく、これは常泰なきを言う。常に往きて返らざるものはなく、これは陰のまさに復るべきを言う。平なるものは陂傾し、往くものは復ればすなわち否となる。まさに天理の必然を知るべし。泰の時にあたりて安逸をあえてせず、常にその思慮を艱危にし、その施為を正固にすれば、かくのごとくして咎なかるべし。泰に処する道として、よく艱貞なれば常にその泰を保つことができ、憂恤を労せずして求むるところを得る。期するところを失わざるを孚となす。かくのごとくであればその禄食において福益がある。禄食とは福祉を言う。泰によく処する者はその福を長く保つことができる。およそ徳善が日に積もれば福禄は日に至り、徳が禄を踰えれば盛んなりといえども満つることはない。古より隆盛にして道を失いて喪敗せざる者は未だあらざるなり。
伊川易伝小象伝
往きて復らざるなしとは、天地の交際を言っている。陽は下に降れば必ず上に復り、陰は上に昇れば必ず下に復る。屈伸往来の常理である。天地交際の道によりて、否泰不常の理を明らかにして戒めとなすのである。
周易注爻辞
乾は本来上であり、坤は本来下であるが、泰を得るゆえんは降り昇るからである。しかるに三は天地の際に処し、まさにその処る所に復らんとする。その処る所に復れば、上はその尊を守り、下はその卑を守る。このゆえに往きて復らざるはなく、平らかにして陂傾せざるはなきなり。天地まさに閉ざされんとし、平路まさに傾かんとし、時まさに大いに変じ、世まさに大いに革まらんとするに処しながら、居りてその正を失わず、動きてその応を失わず、艱にしてよく貞、その義を失わざるがゆえに「咎なし」である。信義が誠に著しければ、その孚を恤わずして自ずから明らかである。ゆえに「その孚を恤うなかれ、食において福あり」と言う。
周易注小象伝
天地がまさに各々分かれて復らんとする際である。
周易正義爻辞
「九三無平不陂」から「于食有福」まで。
正義に曰く、「無平不陂」とは、九三は天地相交わる際に処し、まさに各々分かれてその処る所に復らんとする。乾体は初め下に在りといえども、今まさに復び上に帰らんと欲し、坤体は初め上に在りといえども、今まさに復び下に帰らんと欲す。これ初め平らかなるものも必ずや険陂あり、初め往くものも必ずや反復あるということである。平らかにして陂傾せざるはなく、往きて復らざるはなきとは、あたかも元より下に在る者が上にとどまらず、元より下に在る者が下に帰らざるをえぬがごときである。「艱貞無咎」とは、すでに変革の世に居りてまさに危殆あるべしといえども、ただ己の居るところその正を得、動きてはその応あり、艱難に貞正なればすなわち「咎なし」を得る。「勿恤其孚于食有福」とは、恤は憂いであり、孚は信である。信義はもとより誠に著しければ、その孚信を憂うるを須いず。信義自ずから明らかなれば、食禄の道において自ずから福慶がある。
注の「将復其所処」から「于食有福也」まで。
正義に曰く、「将復其所処」とは、地天泰の乾体が下に在りて、この九三はまさに三を棄てて四に向かわんとし、これその乾の上体の処る所に復らんとするなり。地天泰の坤体は上に在りて、この六四は今まさに四を去りて初に向かい帰り、その坤体の処る所に復らんとするなり。「処天地之将閉平路之将陂」とは、天はまさに上に処し、地はまさに下に処して閉ざされて通ぜず、これが「天地のまさに閉ざされんとする」である。これまで前に向かって通泰し、路に険難なかりしゆえんのものが、今より以後、時はすでに否閉し、路に傾危あること、これが「平路のまさに陂傾せんとする」である。これ三が四に向かうによりて下が上に欲することとなり、上六が下に帰らんと欲するによりて上が下に欲することとなる。ゆえに「その処る所に復る」と言う。「信義誠著」とは、九三が居りて正を失わず、動きて応を失わざるをもって、信義誠に著しきなり。「故不恤其孚而自明」とは、「于食有福」を解釈して、信義自ずから明らかなるをもって飲食に福ありとするのである。
周易正義小象伝
正義に曰く、「天地際」とは、「無往不復」の義を釈している。三は天地交際の処に処し、天体はまさに上がらんと欲し、地体はまさに下がらんと欲す。ゆえに往く者はまさに復り、平らかなる者はまさに陂傾するのである。
一撮金爻辞
九三・三爻(下下):和するも和せず、同じきも同じからず。雲を翻し雨を覆して幾ばくか空しと成る。進退にはすべからく防ぐべし、終には功少なし。