East Almanac
日本語

51. 震為雷 (震)

第6爻

この爻が動けば に変じる 21. 火雷噬嗑 (噬嗑)
上六:震索索たり、視ること矍矍たり、征けば凶。震、其の躬にあらずして其の隣にあれば、咎なし。婚媾に言あり。

現代解釈

震の極みにあって動揺や警戒が高まりますが、周囲の異変を教訓として身を慎めば禍を免れることができます。古典的解釈では、混乱の極限において自ら軽挙妄動せず他山の石とすることが吉凶の分かれ目とされています。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 51 震 — 第6爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/51/6

易の占い

重雷の頂点に位置する上六は、震動が極まって噬嗑へと移り変わる過渡期にあります。伝統的な易学では、恐れ慌てて前進すれば凶を招くものの、隣人の失敗や災難を鏡として警戒を怠らなければ咎めなしに至ると説かれます。嵐の最中に無理に動かず、周囲の兆候を冷静に見極めて守りを固めることが最善の道です。

仕事・キャリア

業界や組織内で予期せぬ変動が起きやすく、周囲のトラブルを目にして不安や動揺が広がりやすい時期です。古典的な知恵は、焦って新規展開や転職に打って出ることを戒め、他者の失敗事例から学び自らの体制を見直すことを促しています。混乱期には拙速な行動を控え、他者の教訓を活かして足元を固めることが身を守る要となります。

恋愛・対人

外的ストレスや周囲の噂話が引き金となり、パートナーとの間に疑心暗鬼や口論が生じやすい気配があります。爻辞にある「婚媾に言あり」の通り、一時的な言葉の行き違いは生じやすいものの、感情的な対立を深めない理性が求められます。周囲の雑音に惑わされず、少し距離を置いて冷静に対話を重ねることで絆を守ることができます。

金運

市場の乱高下や周囲の損失事例が目立ち、不確実なリスクが非常に高まっている局面です。伝統的な占断では、自らに直接被害が及ぶ前に他者の失敗を警戒シグナルと捉え、資産の保全に徹するべきとされます。ハイリスクな冒険を避け、先行きの不透明さが晴れるまで手元資金を守る姿勢が賢明です。

参考資料

原文

小象伝

震索索たりとは、中を未だ得ざるなり。凶と雖も咎なしとは、隣を畏れて戒むるなり。

古典注釈

周易本義小象伝

中とは中心を言う。

伊川易伝爻辞

索索とは消索して存せざるの状であり、その志気がこのごときを謂う。上六は陰柔をもって震動の極に居り、その驚懼の甚だしきこと志気殫索す。矍矍とは不安定なる貌である。志気索索とすれば、視瞻徊徨す。陰柔不中正の質をもって震動の極に処す。ゆえに征けば凶なるなり。震の身に及ぶとは、その躬においてなり。「その躬においてせず」とは、いまだ身に及ばざるを言う。隣とは身に近き者である。身に及ばざるの前に震懼すること能えば、極に至らず。ゆえに咎なきを得る。いやしくも極に至らざれば、なお改むべきの道あり。震は終わりにまさに変ずべし。柔は固守せざるがゆえに、隣の戒めを畏れてよく変ずるの義あり。聖人が震の終わりに人をして懼れを知りよく改むるの義を示されたるは、勧むること深し。婚媾とは親しむところであり、同じく動く者を言う。「言あり」とは怨咎の言あるなり。上六は震の上に居り、始めは衆動の首となりしに、今や隣の戒めを畏れてあえて進まず、諸々の震に処する者と異なる。ゆえに婚媾に言あるなり。

伊川易伝小象伝

恐懼自失することこのごとき所以は、いまだ中道を得ざるによる。中を過ぐるを言うのである。もしこれをして中を得せしめば、索索たるに至らざらん。極まりて復た征けば凶なり。もしよく隣の戒めを見て懼れを知り、未だ極まらざるの前に変ずれば咎なきなり。上六は動の極にして、震極まれば変ずるの義あるなり。

周易注爻辞

震の極に処す、極めて震う者なり。震の極に居り、中を求むれども未だ得ず。故に懼れて「索索」たり、視ること「矍矍」として、親を安んずる所なきなり。已に動の極に処して復た征かば、凶なるは其の宜しきなり。若し恐るるは已の造るに非ず、彼の動くが故に懼れ、隣を懼れて戒むるは、備預に合えば、故に「咎なし」。極懼は相い疑う。故に「婚媾」といえども「言ある」なり。

周易正義爻辞

「上六、震いて索索たり」から「婚媾に言あり」に至るまで。

正義に曰く、「震いて索索たり、視ること矍矍たり」とは、索索は心不安の貌、矍矍は視線定まらざるの容である。上六は震の極に処し、極めて震う者である。すでに震の位に居り、中理を求めてもって自ら安んぜんと欲すれどもいまだ得る能わず。「ゆえに懼れて索索たり、視ること矍矍として、親を安んずる所なし」。「征けば凶なり」とは、「動懼の極に処してまた征かば、凶なるはその宜しきなり」。ゆえに「征けば凶なり」と言う。「震、その躬においてせずしてその隣においてすれば、咎なし」とは、もし恐るるは己の造るところに非ず、彼の動くがゆえに懼れ、隣に懼れて自ら戒むれば、備預に合いて咎なきを得る。ゆえに「震、その躬においてせずしてその隣においてすれば、咎なし」と言うのである。「婚媾に言あり」とは、極懼の地に居り、重ねて婚媾相い結ぶといえども、また相い疑うの言なき能わず。ゆえに「婚媾に言あり」と言うのである。

周易正義小象伝

正義に曰く、「中未だ得ざるなり」とは、未だ中を得ざるを言うがごときである。「隣の戒めを畏るるなり」とは、隣の動くを畏れ、懼れて自ら戒むれば、すなわち「咎なし」を得るということである。

一撮金爻辞

上六、六爻・下中:細雨濛濛として湿おい、江辺路通ぜず。道途人いまだ達せず、東風を借りて憑仗とせん。

出典