East Almanac
日本語

52. 艮為山 (艮)

卦辞

艮:其の背に艮まりて其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず、咎なし。

現代解釈

艮卦は二つの山が重なり、止まるべき時に正しく止まる静止の美徳を象徴しています。古典的解釈では、外的な欲望や雑念に惑わされず自らの分を守ることで、確固たる安寧と無咎が得られると説かれます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 52 艮 — 卦辞.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/52/0

八字命式

艮の象意は重なる土の気を示し、重厚で動じない落ち着きと自制心を表しています。伝統命理では、過度な頑迷さは停滞を招くため、静止の安定感の中に時宜に応じた柔軟性を保つことが重要視されます。外の流行に流されず、泰然とした構えで自己を確立することが長期的な信頼につながります。

西洋占星術

星の配置は内省と基盤強化へと向かい、無謀な拡張よりも自己の境界線を再定義する時期を示しています。伝統占星術では、意識を外側の喧騒から引き離し、自らの核心的な土台を整備する好機と見なされます。周囲との比較をやめて自身の役割に集中することで、揺るぎない確信を得ることができます。

易の占い

重山が連なる艮卦は、止まるべき時に止まり、進むべき時に進むという動静の調和を説く卦です。伝統易学では「その背を艮め、その身を獲ず」と称され、私欲や見栄を手放すことで内なる清明さが保たれるとされます。目先の誘惑に動かされず、じっと留まる勇気を持つことで物事の本質が見えてきます。

仕事・キャリア

職務においては規模拡大や性急な昇進を狙うよりも、現在担っている役割の精度を高めることが推奨されます。「思惑はその位を出でず」という大象伝の教え通り、越権行為を慎み本分に徹することが最大の成果を生みます。足元の地盤を着実に固める姿勢こそが、将来に向けた揺るぎない実績となります。

金運

財政管理では積極的な投資攻勢を控え、元本の保全と無駄な支出の削減に専念すべき局面です。古典的な知恵は「止まるを知る」自制を重んじ、高リスクな投機や衝動的な消費の危険性を警告しています。守りの姿勢を徹底して着実に蓄えを残すことが、最も確実な資産防衛となります。

恋愛・対人

関係性において適切な距離感と自立心を保つことが、互いの敬意を育む鍵となります。伝統的な見立てでは、過剰な干渉や執着はかえって摩擦を生むため、互いのプライベートな領域を尊重すべきと説かれます。適度な余白と思いやりを意識することで、穏やかで息の長い絆が育まれます。

健康

重なる土の象意は消化器系や背骨・姿勢への配慮を促し、身体のリズムを整える休養の必要性を示しています。伝統的な養生法では、思考の過密や運動不足による気の滞りを防ぎ、適度な休息と静穏な環境を整えることが勧められます。無理に活動を詰め込まず、心身を静かに休ませて緊張を解きほぐすことが大切です。

自己成長

自己研鑽においては、外的な承認を求めるのではなく、内面の省察と精神的な軸を養うべき収穫期です。背を止めて他者の視線から自由になる姿勢は、本質的な自己肯定感を育てる基盤となります。静寂の中で自らを見つめ直す時間が、人間的な深みと芯の強さを培います。

相性

双方が自立した人格として境界線を守り合うことで、節度ある健全な関係が保たれます。古典的な相性論では、馴れ合いに流されず「君子の交わり」のように淡く敬意を保つ間柄が長続きするとされます。相手の領域を侵害しない思いやりが、摩擦のない心地よい調和をもたらします。

運の流れ

大運に艮が現れる時期は、外への拡大を急ぐよりも内部の基盤を固め、力を蓄える潜伏のサイクルです。伝統的な解釈では、強引な新規着手は障害に直面しやすいため、既存のリソースを整理することが得策とされます。じっくりと足場を固めておくことで、将来の飛躍に向けた強固な土台が完成します。

年運

年運において艮の象意を得る年は、攻めよりも守りを重視し、着実な現状維持を心がけるべき巡りです。伝統的な年運判断では、派手な成功を追わずに慎重な歩みを維持することがトラブルを回避する要とされます。焦らず目の前の課題を丁寧にこなすことが、平穏で充実した一年を過ごす秘訣です。

姓名判断

艮の象意を名前に取り入れることは、山のような重厚さ、品格、そしてブレない意志の強さを託すことを意味します。伝統的な字理では、軽薄さや浮足立った性質を抑え、落ち着きある思慮深さを育む作用があるとされます。揺るぎない安定感と実直さを備えた人格形成を支える名となります。

吉日選択

日取りの選定において艮の気は、基礎固め、契約の確認、休養、守備的計画の策定に適しています。伝統的な暦法では、急激な進出や遠方への移動、投機的な催しには不向きな静止の時とみなされます。慌ただしく動くのを避け、静かに整える行動を選ぶことで万事が順調に運びます。

風水

風水において艮は北東方位を司り、建物の支えとなる座山や後援の運気を象徴します。伝統的な空間論では、背後にしっかりとした壁や安定した家具を配置し、この方位を清潔かつ静穏に保つことが肝要とされます。背後をどっしりと安定させる配置を整えることで、心身の落ち着きと安心感が得られます。

参考資料

原文

彖伝

艮は止まるなり。時に止まるべきときは則ち止まり、時に行くべきときは則ち行き、動静其の時を失わざれば、其の道光明なり。其の止まるに艮まるとは、其の所に止まるなり。上下敵応して相与にせざるなり。是を以て其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず、咎なきなり。

大象伝

兼山は艮なり。君子以て思い其の位を出でず。

古典注釈

周易本義卦辞

艮為山は止である。一陽が二陰の上に止まる。陽が下より昇りて極上に至りて止まるのである。その象は山であり、坤地を取りてその上を隆起させた状であり、また極まりて止まり進まざるの意である。その占いは、必ずよくその背に止まりてその身を有たず、その庭に行きてその人を見ざれば、すなわち咎なきなり。およそ身は動く物であるが、ただ背のみを止となす。その背に艮まる(止まる)とは、止まるべき所に止まることである。止まるべき所に止まれば、身に随いて動かない。これその身を有たざるなり。このごときであれば、庭除の人のある地を行くといえども、またその人を見ない。およそその背に艮まりてその身を獲ざるとは、止まりて止まることである。その庭に行きてその人を見ざるとは、行きて止まることである。動静おのおのその所に止まりて、みな静を主とする。ゆえに咎なきを得るのである。

周易本義彖伝

これは卦名を釈したものである。艮の義は止である。しかるに行止おのおのその時があるゆえに、時に止まりて止まるも止であり、時に行きて行うもまた止である。艮体は篤実なるゆえにまた光明白なる義がある。山天大畜において艮を輝光をもって言うのもこれである。これは卦辞を釈したものである。背を易えて止となすは、背が即ち止なるを明らかにするためである。背とは止まるの所である。卦体をもって言えば、内外の卦は陰陽敵応して相い与しない。相い与しなければ内には己を見ず外には人を見ずして咎なきなり。晁氏に「艮其止はまさに卦辞に依りて背と作るべし」とある。

伊川易伝卦辞

艮の序卦に「震とは動なり。物は終りて動くべからず、これを止む。故にこれを受くるに艮を以てす。艮とは止なり」とある。動静は相い因り、動けば静あり、静なれば動あり。物に常に動くの理はなし。艮が震の次にくる所以である。艮とは止である。「止」と言わないのは、艮は山の象にして安重堅実の意があり、止の義のみでは尽くせないからである。乾坤が交わり、三索して艮を成す。一陽が二陰の上に居り、陽は動きて上に進む物にして、すでに上に至れば止まる。陰とは静である。上が止まりて下が静なるゆえに艮となす。しからば畜止の義といかに異なるか。曰く、畜止とは制畜の義にして力をもってこれを止むるなり。艮止とは安止の義にしてその所に止まるなり。

「咎なし」について。

人のその止を安んずる能わざる所以のものは、欲に動かされるからである。欲が前に牽きてその止を求めても得べからず。ゆえに艮の道はまさにその背に艮まるべし。見るところは前に在りて、背はこれに背く。これ見ざるところである。見ざるところに止まれば、欲のもってその心を乱すことなく、止まりて安んず。「その身を獲ず」とはその身を見ざるなり。忘我を謂う。我無ければ止まる。我を無くすること能わざれば、止まるべき道なし。「その庭に行きてその人を見ず」とは、庭除の間は至近である。背に在れば至近といえども見ず、物に交わらざるを謂う。外物接せず内欲萌さず、このごとくして止まれば、すなわち止の道を得る。止において咎なきなり。

伊川易伝彖伝

艮は止となす。止の道はただその時にあり。行止動静時に非ざれば妄なり。その時を失わざれば理に順い義に合す。物に在りては理となり、物に処しては義となる。動静理義に合いてその時を失わざるは、すなわちその道の光明なり。君子の時を貴ぶ所以は、仲尼の行止久速是れなり。艮体篤実にして光明の義あり。「艮其止」について。

艮其止とはこれを止めて止まるを謂う。止めてよく止まる者は、止まることその所を得るによる。止まりてその所を得ざれば、止まるべきの理なし。夫子曰く「止においてその止まる所を知る」とは、止まるべきの所を謂う。それ物あれば必ず則あり。父は慈に止まり、子は孝に止まり、君は仁に止まり、臣は敬に止まる。万物庶事、おのおのその所を得ざるはなし。その所を得れば安く、その所を失えば悖る。聖人のよく天下を順治せしむる所以は、よく物のために則を作るに非ず。ただ各々をその所に止ましむるのみである。

卦才をもって言えば、上下の二体は敵を以て相い応じ、相い与するの義なし。陰陽相い応ずれば情通じて相い与す。しかるにその敵なるをもって相い与せず。相い与せざれば相い背き、艮其の背の止の義となる。相い背くがゆえにその身を獲ずその人を見ず。ここをもってよく止まる。よく止まれば咎なきなり。

伊川易伝大象伝

上下ともに山であるゆえに兼山となす。これと彼とを並ぶるを兼となし、重複を謂う。重艮の象である。君子は艮止の象を観て、安んじて止まる所を思い、その位を出でざるなり。位とは処する所の分である。万事おのおのその所あり、その所を得れば止まりて安し。もし行ぐべき時に止まり、速にすべき時に久しくし、あるいは過ちあるいは及ばざれば、みなその位を出づるなり。いわんや分を越え拠るに非ざるにおいてをや。

周易注卦辞

止まる所は後に在り、故に其の身を獲ざるなり。相い背くが故なり。凡そ物は面を対して相い通ぜざれば、「天地否」の道なり。艮とは、止まりて相い交通せざる卦なり。各々止まりて相い与せざれば、何ぞ咎なきを得ん?

唯だ相い見ざるは乃ち可なり。止を背に施せば、物欲を隔てず、其の止まる所を得るなり。背とは、見る無きの物なり。見る無ければ則ち自然に静止し、静止して見る無ければ、則ち「其の身を獲ず」。相い背く者は、近しといえども相い見ず、故に「其の庭に行きて、其の人を見ず」と言うなり。夫れ止を無見に施さず、物をして自然にして止ましめずして、強いてこれを止めば、則ち奸邪並び興り、近しくして相い得ざれば則ち凶なり。其の「咎なき」を得るは、「其の背に艮まりて、其の身を獲ず、其の庭に行きて、其の人を見ざる」が故なり。

周易注彖伝

正道は常に用いるべからず、必ず行うべからざるに施す。其の時に適いて、道乃ち光明なり。背を易えて止と曰うは、背が即ち止なるを明らかにするを以てなり。止を施すは面に施すべからず、背に施して乃ち可なり。止を止に施し、止を行に施さざれば、其の所を得る。故に「其の止に艮まりて、其の所に止まる」と曰うなり。

周易注大象伝

各々その所に止まり、官を侵さざるなり。

周易正義卦辞

「其の背に艮まりて其の身を獲ず」から「咎なし」に至るまで。

正義に曰く、「其の背に艮まりて其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず、咎なし」とは、「艮は止なり」、静止の義であり、これは山を象どる卦であり、その名に「艮」を取る。これを人事に施せば、すなわち物の情を止め、その動欲を防ぐゆえにこれを止と言う。「其の背に艮まる」とは、止を施す所を明らかにするものである。止を施して所を得ればその道は成り易く、止を施してその所を得ざればその功は成り難い。ゆえに『老子』に「欲すべきを見ず、心をして乱れざらしむ」とある。「背とは見ることなきの物なり」。それ「見ることなきときは自然に静止す」。夫れ防止の法は、よろしくそのいまだ兆さざるに防ぐべし。すでに兆して止めば物の情を傷める。ゆえに止を見ることなきの所に施せば、物欲を隔てず、その止まる所を得るのである。もし「止を面に施せば」、すなわち「面を対して相い通ぜず」、強いてその情を止めば、すなわち「奸邪並び興りて」凶咎あり。止まりて見るなきときは、止まる所は後に在りて相対せず。面を対して物来たるあれば情欲己に私あり。すでに止は後に在れば、これ止を見るなきに施すなり。止まる所に看るなきときは、いずくんぞその身を見んや。ゆえに「その身を獲ず」。すでに「その身を獲ず」んばすなわち相い背く。相い背く者は近しといえども相い見ず、ゆえに「その庭に行きて其の人を見ず」。このごときであってすなわち「咎なし」を得る。ゆえに「其の背に艮まりて其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず、咎なし」と言うのである。またもしよく未兆に止むるを得ば、これ未萌に治むるなり。もし面を対して相い交通せざれば、これ「天地否」の道である。ただその背に止まれば咎なきを得るのである。

周易正義彖伝

「彖に曰く、艮は止なり」から「其の道光明なり」に至るまで。

正義に曰く、「艮は止なり」とはその名を訓じたものである。「時に止まれば則ち止まり、時に行けば則ち行い、動静その時を失わざれば、其の道光明なり」とは、止を施して光明ある所を釈さんとするものである。止を施すには時あり、およそ物の動息は自ずとおのおの時運あり。止を用うるの法は常となすべからず、必ず時に応じて行止し、然る後にその道は光明を得るのである。

正義に曰く、これは止を施すの所を釈したものである。「其の止に艮まる」とは、経文の「其の背に艮まる」を畳(かさ)ねたものである。「背を易えて止と曰い、もって背を明らむ」とは、見るなきの物は即ち止まるべき所であるということである。すでに時に止まれば即ち宜しく止まるべく、時に行けば即ち行う。ゆえに止を施すはすべからく所を得べし。「艮」はすでに止と訓じ、今「其の止に艮まる」と言うは、その止まるべき所に止まることである。ゆえに「其の止に艮まりて、其の所に止まる」と言うのである。

正義に曰く、「上下敵応して相い与せざるなり」とは、六爻がみな相い応ぜざるについて艮卦の名を釈し、また「その身を獲ず」以下の義を釈したものである。凡そ応とは一陰一陽にして二体敵せざるを言う。今や上下の位は復た相当すといえども、爻はみな峙敵して相い交与せず。ゆえに「上下敵応して相い与せざるなり」と言うのである。しかるに八純の卦はみな六爻応ぜざるに、何ぞ独りここにおいてこれを言うのかといえば、この卦はすでに止まりて交わりを加えず、また峙ちて応ぜず、止の義と相い協うゆえに、これを兼ねて以て明らかにしたのである。ここをもって「その身を獲ず、その庭に行きてその人を見ず、咎なきなり」とは、経文を挙げてこれをつなぎ、相い与して止まれば咎なきを明らかにしたのである。

周易正義大象伝

正義に曰く、「兼山は艮なり」とは、両山の義が重なるを「兼山」と言うのである。直ちに一山を置くだけでも、すでに鎮止することができる。今両山が重畳し、止の義はいよいよ大なり。ゆえに「兼山は艮なり」と言う。「君子もって思いて其の位を出でず」とは、止の義たる、おのおの其の所に止まる。ゆえに君子はこの時に当たりて、思慮の及ぶところ、己の位を出でざるなり。

出典