伊川易伝爻辞
諸陽が消剥し尽くされ、独り上九の一爻のみなお存する。碩大なる果実の食われざるが如く、まさに復生の理を見んとする。上九もまた変ずれば純陰となる。然れども陽に尽くべき理はなく、上において変ずれば下において生じ、間隙の息むべき容赦もない。聖人はこの理を発明して、もって陽と君子の道が滅ぶべからざるを示したのである。ある人が言う、剥が尽くれば純坤となるのに、豈にまた陽があろうか、と。曰く、卦をもって月に配すれば坤は十月に当たり、気の消息をもって言えば陽が剥して坤となり陽が来たりて復となる。陽は未だかつて尽きない。上において尽き剥るれば下において復生するのである。ゆえに十月を陽月といい、その陽なきを疑わんことを恐れたのである。陰もまた然りであるが、聖人は言わないのみである。陰の道が極まりて盛んなる時は、その乱るること知るべきである。乱が極まればおのずから治を思うべきであり、ゆえに衆心は君子を載せんと願い、君子は車輿を得るのである。『詩経』の「匪風」「下泉」は変風の終わりに居る所以である。理がすでにこの如くであれば、卦においても衆陰が陽を宗として共に載せる象となる。「小人は廬を剥す」とは、小人ならば剥の極みに当たり、その廬を剥してその身を容れる所がなくなる。重ねて爻の陰陽を論ぜず、ただ小人が剥の極みに処すればその廬に及ぶと言うのみである。廬は上に在る象を取る。ある人が言う、陰陽の消滅は必ず尽くるを待ちて然るのちに下に復生するのに、これが上において便ち復生の義があるのは何故か、夬の上六はどうして「終に凶あり」と言うのか、と。曰く、上九は剥の極みに居り、上に一陽がある。陽には尽くべき理がない。ゆえに復生の義あるを明らかにして、君子の道が滅ぶべからざるを示すのである。夬とは陽が陰を消すことであり、陰は小人の道である。ゆえにただその消亡を言うのみであり、どうして重ねてかえりて復生の理があると言う必要があろうか。