伊川易伝爻辞
六五は君位に居り、天下の邪悪を止畜する者である。億兆の衆がその邪欲の心を発したならば、人君が力ずくでこれを制しようとしても、厳罰苛法をもってしても勝つことはできない。万物には総摂の要があり、人事には機運の会がある。聖人がその要を把握すれば、億兆の心を視ることなお一心のごとし。これを導けばすなわち行われ、これを止めればすなわち収まる。ゆえに労せずして治まる。その効用は豶豕(ふんし)の牙のごときである。豕は剛躁の物であり、牙は猛利である。もし強いてその牙を制しようとすれば、力を労するもその躁猛を止めることはできず、これを縛り繋いでも変えさせることはできない。もしこれを去勢してその勢いを去れば、牙は存すといえども剛躁は自ずから止まる。その用はこのようであり、ゆえに吉である。君子は豶豕の義を察して、天下の悪を力づくで制すべからざるを知れば、その機を察しその要を保ち、その根本を塞ぎ断つ。ゆえに峻厳な刑法によらずとも悪は自ずから止まる。たとえば盗みを止めるに、民に欲心あれば利を見て動く。もし教化を知らず飢寒に迫られれば、日々に死刑を科すとも、どうして億兆の利欲の心に勝てようか。聖人はこれを止める道を知り、威刑を尊ばずして政教を修め、これに農桑の業を持たせ、廉恥の道を知らしむ。しからば賞すとも盗まなくなる。ゆえに悪を止める道はその本を知りその要を得るにあるのみ。彼において刑を厳にせずして此において政を修めるは、これなお豕の牙の鋭きを患えてその牙を制せず、その勢いを去勢するがごとし。