East Almanac
日本語

27. 山雷颐 (颐)

第1爻

この爻が動けば に変じる 23. 山地剝 (剥)
初九:爾の霊亀を舎てて、我を観て頤を朶る、凶。

現代解釈

頤の初九は、自らに備わる本来の資質や自足の力を捨て、他者の施しや外の欲望に目を奪われる危険を戒める爻です。伝統的な解釈では、本分を忘れてみだりに動くことが凶を招くと捉えられます。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 27 颐 — 第1爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/27/1

易の占い

初九は陽剛の質を持ちながら最下位にあり、霊亀のように自足して自らを養う徳を備えています。しかし上方の六四の養いを羨んであごを動かす姿に陥ると、自らの気節を損なうことになります。易学の伝統では、自立の力を放棄して外に頼る姿勢を厳しく戒め、爻辞は凶と断じています。自分自身に備わる強みを信じ、他人の持ち物に目を奪われないことが大切です。

仕事・キャリア

職場においてすでに独自の専門性や自立した基盤を備えているにもかかわらず、他人の実績や華やかなポジションに目を奪われて追従すると、かえって自らの立場を危うくします。小象伝が「亦た尊ぶに足らざるなり」と説くように、主体性を手放して他者に依存する態度は周囲からの信頼を落としかねません。外部の動向に惑わされず、まずは足元にある本業や固有のスキルを深めることに集中しましょう。

恋愛・対人

本来は自立した魅力や精神的な充足感を持っているはずが、パートナーからの過度な承認や他人の恋愛模様を羨むことに囚われると、関係のバランスが崩れやすくなります。他者に満たしてもらうことばかりを求めると、相手に重圧を与えて健全な絆を損なう原因となります。まずは自分自身を大切に満たし、自立した姿勢で相手と向き合うことが調和への第一歩です。

金運

手元にある確かな資源や本業からの安定収入があるにもかかわらず、外部の甘い儲け話や過剰な利回りに目を奪われると、足元をすくわれかねません。本来の堅実な運用を捨てて身の丈に合わない投機に手を出せば、予期せぬ資金難を招く恐れがあります。まずは手元の基盤をしっかりと守り、衝動的な支出や安易な投資話には乗らない姿勢が肝要です。

参考資料

原文

小象伝

我を観て頤を朶るとは、亦た貴ぶに足らざるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

舎は音捨。朶は多果の反。

霊亀は食らわざるの物。朶は垂るるなり。朶頤は食らわんと欲するの貌。初九は陽剛にして下にあり、食らわざるに足るに、六四の陰に上応して欲に動く、凶の道である。ゆえにその象占はこのようである。養を初めに求むるは転倒して常理に違(たが)う。養を上に求むるは往きて凶を得る。丘は土の高き者で上の象である。

伊川易伝爻辞

山水蒙の初六は蒙なる者であり、爻は蒙を発するを主として言う。頤の初九もまた外を仮りて言うのみである。「爾」とは初を指す。爾の霊を舎(す)てて我を観て朶頤すとは、我は爾に対して設けたのである。初が朶頤するゆえんの者は四であるが、四がこれを言うのではない。仮設の辞である。初九は陽体にして剛明、その才智は正を養うに足るものであり、息を呑みて食らわずしてよく、霊とはその明智にして外に養を求めざるべきに喩える。才はかくのごとくといえども、陽を以て動体に居り頤の時にあるゆえに、頤を求むるは人の欲するところである。四に上応して自ら守ること能わず、志は上行にありて欲するところを説(よろこ)び朶頤する者である。心が既に動けばその自失は必せり。欲に迷いて己を失い、陽を以て陰に従うならば、何処に至らざらんや。ここを以て凶なり。朶頤とはその頤頷を朶動することであり、また人が食を見てこれを欲すれば頤を動かし涎を垂らすゆえに象とする。

象に曰く、「我を観て朶頤す、また貴ぶに足らざるなり」。九は動体にして朶頤すとは、その陰を説びて志が動くをいう。既に欲に動かされれば、剛健明智の才ありといえども終には必ず自失せん。ゆえにその才もまた貴ぶに足らない。人の剛を貴ぶゆえんは、能く立ちて欲に屈せざるがためである。明を貴ぶゆえんは、能く照らして正を失わざるがためである。既に欲するところに惑わされてその正を失えば、何の剛明かこれあらん。賤しむべきものとなる。

周易注爻辞

「朵頤」とは嚼(か)むなり。陽を以て下に処りて動の始動と為り、物をして己に由りて養われしむる能わず、動きて養を求むる者なり。夫れ身を安んずるは競わざるに若くは無く、己を修むるは自保に若くは無し。道を守れば則ち福至り、禄を求むれば則ち辱来たる。賢を養うの世に居りて、その履む所を貞にして以てその徳を全うする能わず、其の霊亀の明兆を舎て、我が朵頤を羨みて躁求し、その養を致すの至道を離れ、我が寵禄を闚(うかが)いて競い進む、凶これより甚だしきは莫し。

周易正義爻辞

「初九」より「我を観て朵頤す凶」に至るまで。

正義に曰く、「霊亀」とは神霊明鑑の亀兆を謂い、以て己の明徳に喩う。「朵頤」とは頤を朵動して以て物を嚼むを謂い、貪婪にして食を求むるに喩う。初九は「陽を以て下に処りて動の始動と為り」、物をして己に頼りて養われしむること能わず、而して更に自ら動きて養を求む。これその霊亀の明兆を舎て、我が朵頤を観て躁求するなり。これ己の廉静の徳を損ない、その貪窃の情を行う、故に「凶」なり。貴ぶに足るに不足す、故に《象》に「亦た貴ぶに足らざるなり」と云う。注の「朵頤とは嚼むなり」より「凶これより甚だしきは莫し」に至るまで。

正義に曰く、「朵頤とは嚼むなり」とは、朵は動の義なり、手の物を捉うるを之れ朵と謂うがごとし。今その頤を動かす、故に嚼むと知るなり。「物をして己に由りて養われしむる能わず」とは、若し道徳弘大ならば則ち己能く物を養う、これ物は己に由りて養わるるなり。今身は無位の地に処り、又た震動の始動に居る、これ動きて自ら養を求むるなり。「その養を致すの至道を離れ、我が寵禄を闚いて競い進む」とは、若し能く自ら廉静を守りその明徳を保たば、則ち君上の養う所を致す能わん。今廉静を守る能わざるは、是れ「その養を致すの至道を離れ」、反りて以てその寵禄を求めて競い進むなり。

一撮金爻辞

初九・初爻(下下):紅葉は色無く、凋零す一夜の風。隣鶏は午夢を醒まし、心事は総じて空と成る。

出典