周易本義爻辞
位は正を得ているといえども、過剛にして中ならず、志は上に従い、その所に久しく居ることができない。ゆえに「その徳を恒にせず、あるいはこれを羞に承く」の象とする。「あるいは」とは、いかなる人かを知らざるの辞である。「承」は奉である。人みな奉じてこれを進めることを得て、その自ずから来たる所を知らないことを言う。「貞吝」とは、正しくあれども恒ならざるは羞吝とすべきことであり、占う者に戒めを重ねる辞である。
第3爻
九三:其の徳を恆にせず。或いはこれに羞を承く。貞にして吝なり。
九三は下卦の極みにあって気性が定まらず、節操や徳を保てないために思わぬ恥辱や行き詰まりを招く状況を示します。伝統的な解釈では「其の徳を恒にせず」と戒められ、気分や環境に流されて方針をコロコロ変える態度の危うさが強調されます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 32 恒 — 第3爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/32/3
易占の構造において九三は過剛で中を失い、移り気で安定を欠くため継続の徳を全うすることができません。小象伝が「容るる所なし」と厳しく論じるように、一貫性のない言動を繰り返せば居場所を失うことにつながります。端的に言えば、気分次第で方針を変えるのをやめ、自ら定めた筋道を信じて一貫性を保つことが肝要です。
仕事において朝令暮改を繰り返したり、始めた取り組みを中途半端に投げ出したりすると、信用を大きく損なう恐れがあります。目新しいものに目移りして方針を頻繁に変更するよりも、一つの課題をやり遂げる粘り強さが求められます。端的に言えば、あれこれ手を広げて迷走するより、いま取り組んでいることを最後まで完遂しましょう。
感情の起伏が激しく、好意と冷淡さが極端に入れ替わるような接し方は、相手に強い不安と不信感を与えます。気まぐれな態度で振り回し続けると、相手の忍耐が限界を迎え関係が破綻しかねません。端的に言えば、一時の気分で態度を変えず、相手に安心感を与える一貫した優しさを示しましょう。
相場の浮き沈みに惑わされて方針を頻繁に変更し、短期的な売買を繰り返すことで損失を広げやすい状態です。之卦の解は混乱した執着から抜け出すことを促しており、無計画な右往左往を止めることが先決です。端的に言えば、目先の動きに一喜一憂せず、決めたルールを愚直に守ることが資金を守る近道です。
其の徳を恆にせずとは、容るる所なきなり。
周易本義爻辞
位は正を得ているといえども、過剛にして中ならず、志は上に従い、その所に久しく居ることができない。ゆえに「その徳を恒にせず、あるいはこれを羞に承く」の象とする。「あるいは」とは、いかなる人かを知らざるの辞である。「承」は奉である。人みな奉じてこれを進めることを得て、その自ずから来たる所を知らないことを言う。「貞吝」とは、正しくあれども恒ならざるは羞吝とすべきことであり、占う者に戒めを重ねる辞である。
伊川易伝爻辞
九三は陽爻にして陽位に居り、処りてその位を得ているのはその常処である。しかるに志は上六に従う。陰陽が相応じるのみならず、風がまた雷に従い、恒なるべき処に処らずして処らない。不恒の人である。その徳が恒ならざれば、羞辱があるいはこれに承(いた)る。「あるいはこれを承く」とは時にして至ることをいう。「貞吝」とは、不恒を固守して恒と為すことであり、どうして羞吝ならざるを得ようか。
伊川易伝小象伝
人にすでに恒がなければ、何の容れ処る所があろうか。まさに処るべき地においてすでに恒に処ることができず、その拠るべき所に非ざれば、どうして恒たりえようか。これは不恒の人がその身を容れ処る所なきことである。
周易注爻辞
三陽の中に処し、下体の上に居り、上体の下に処して、上は尊に至らず、下は卑に至らず、中は体になく、体は恒に在りながら分は定まるところなく、恒なき者である。徳行に恒なく、自ら相違錯して詰問を致すべからず。ゆえに「あるいはこれを羞に承く」のである。ここに徳を施しても物はこれを納れることなし。鄙賤甚だし。ゆえに「貞吝」という。
周易正義爻辞
「九三、其の徳を恒にせず、或いはこれを羞に承く、貞吝」。
正義に曰く、「其の徳を恒にせず、或いはこれを羞に承く、貞吝」とは、九三は下体の上に居り上体の下に処す。三陽の中に処すといえども、また不中の位に在り、上は全尊ならず下は全卑ならず、心を執ること定まらずして徳行に恒なし。ゆえに「其の徳を恒にせず」という。徳すでに恒なく自ら相違錯すれば、羞辱がこれに承け、羞ずるところは一にあらず。ゆえに「或いはこれを羞に承く」という。久しく処ることかくのごとくなれば、正の賤しむところなり。ゆえに「貞吝」という。
注の「三陽の中に処し」から「ゆえに貞吝と言うなり」まで。
正義に曰く、三陽の中に在りといえども、一体の中ではない。「詰を致すべからず」とは、詰は問である。違錯するところが多く、その事理を問うに足りず、その羞辱の深きを明らかにする所以であって、『論語』に「予において何か誅(責)めん」と言うがごとしである。
周易正義小象伝
正義に曰く、「容るる所なし」とは、不恒の人は往くところの処においてみなこれを納れないゆえに「容るる所なし」というのである。
一撮金爻辞
九三の六爻は下下なり。橋はすでに断たれ、路は通ぜず。舟に登りて楫を理(おさ)むるに、また狂風に遇わん。