周易本義爻辞
「剝」とは、陰が陽を剝ぎ落とすことができる者をいう。九五は陽剛にして中正であるが、説(よろこ)びの時に当たり、尊位に居て上六に密近している。上六は陰柔にして説の主であり、説の極みに居て、妄りに説び媚びて陽を剝ぐことができる者である。ゆえにその占いは、ただ上六を信じるならば危うきありと戒めるのである。
第5爻
九五。剥に孚とす、厲うきことあり。
尊位にあって中正を得ながらも、甘言や危うい勢力を過信して足元をすくわれる危うさを戒める爻です。伝統的な解釈では、正当な立場にありながらも媚びへつらう存在に心を許すことで、次第に基盤が侵食されると捉えます。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 58 兑 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/58/5
九五は剛健中正の指導者的立場にありますが、最上部の陰柔に近接するため、実体の伴わない阿諛追従に絆されやすい状況にあります。変卦の雷沢帰妹は感情や体面に流されて本分を見失うリスクを示し、小象伝が「位正当也」と説くのは自らの正しさに安住せず警戒を怠らないことの重要性を促すものです。耳に心地よい言葉の裏にある意図を冷静に見極め、分をわきまえた判断を保つことが求められます。表面的な親密さに惑わされず、客観的な規律と節度を守ることが危難を遠ざけます。
責任ある立場において、成果の実態よりも耳触りの良い報告や追従を好む傾向が生じると、組織の規律が形骸化する恐れがあります。実績や客観的事実に基づかない同調者を重用することは、業務の停滞や自身の統率力の低下を招く要因となりかねません。評価や意思決定の場では明確な基準と透明性を堅持し、情実に流されない監査姿勢を保つことが大切です。身近な賛辞に甘んじることなく、客観的な事実と実績に基づいて判断を下すことが信頼を守ります。
パートナーや好意を寄せる相手の甘い言葉に気を取られ、誠実さや責任感といった本質的な課題を見落としやすい局面です。伝統的な易の教えにある「厲(あやう)きあり」の警告は、情に流されて相手の不誠実な要求を過剰に受け入れてしまう構図への注意を促しています。互いの自立と健全な境界線を維持し、言葉だけでなく行動の整合性を冷静に見守る姿勢が欠かせません。耳当たりの良さに溺れず誠意を行動で見極めることが、健全な関係性を保つ要となります。
魅力的に見える儲け話や親しい知人からの甘い誘いに乗ることで、資産が知らぬ間に目減りするリスクが示唆されています。九五の段階では守成とリスク管理が最優先であり、十分な裏付けのない提案に資金を委ねることは慎むべき状況です。契約内容や財務体制を客観的かつ厳格に確認し、人情や雰囲気だけで重要な判断を下さない規律が求められます。親しい間柄であっても確認を怠らず規律を遵守することが、大切な資産を守る防壁となります。
「剥に孚とす」とは、位正当なればなり。
周易本義爻辞
「剝」とは、陰が陽を剝ぎ落とすことができる者をいう。九五は陽剛にして中正であるが、説(よろこ)びの時に当たり、尊位に居て上六に密近している。上六は陰柔にして説の主であり、説の極みに居て、妄りに説び媚びて陽を剝ぐことができる者である。ゆえにその占いは、ただ上六を信じるならば危うきありと戒めるのである。
周易本義小象伝
『天泽履』の九五と同じである。
伊川易伝爻辞
九五は尊位を得て中正に処し、説道の善を尽くしているが、聖人は重ねて危厲の戒めを設けた。思うに堯舜の盛時といえども、いまだかつて戒めのなきことはなかった。戒むべきところを戒めるのみである。聖賢が上に在れば、天下にいまだかつて小人がいなかったわけではないが、その悪をほしいままにすることはできなかった。聖人もまた、彼らが勉めて面目を改めることができるのを説(よろこ)ぶのである。かの小人もまた、聖賢が説ぶべしと知らないわけではない。四凶が堯の朝廷にあって悪を隠し命に従ったのがこれである。聖人も彼らが終には悪なるを知らないわけではないが、罪を畏れて強いて仁に就くのを取ったまでである。五がもし誠心より小人の偽善を実善と信じ、その包蔵する禍心を知らなければ、危うき道である。小人に対して備えが至らなければ善を害する。聖人の戒めをなす意は深い。「剝」とは陽を消すの名であり、陰が陽を消すことである。けだし上六を指すゆえに、剝に孚(まこと)あれば危ういのである。五は説の時に在りて上六に密比するがゆえにこれを戒めた。舜のような聖人ですらなお巧言令色を畏れたのだから、どうして戒めずにいられようか。説びの人の心を惑わすことは入りやすく、かくのごとく懼るべきものなのである。
伊川易伝小象伝
「剝に孚あり」と戒めるのは、五の処するところの位がまさに戒むべきだからである。陰柔に密比して相説ぶ道があるがゆえに、これを信じることを戒めたのである。
周易注爻辞
上六に比して相得ており、尊正の位に処しながら、陽を説び信ぜずして陰を説び信ずる、これが「剝に孚あり」の義である。「剝」の義とするところは、小人の道が長ずることをいう。
周易注小象伝
正当の位をもちながら、小人を信じて君子を疎んずるがゆえに、「位正当なり」というのである。
周易正義爻辞
正義に曰く、「剝」とは小人の道が長じ、君子の正を消滅させることであり、ゆえに小人を剝という。九五は尊正の位に処し、下に応ずるものがなく、上六に比してこれと相得ている。これは小人を説び信じることであり、ゆえに「剝に孚あり」という。信じて剝を成すは危うき道であり、ゆえに「厲(あやう)きあり」という。
周易正義小象伝
正義に曰く、「位正当なり」とは、正当の位にあれば君子を信ずべきなのに小人を信じたため、当位の責任をもってこれを責めたのである。