周易本義爻辞
號は戸羔の反。咷は道刀の反。旅卦に同じ。五は剛にして中正、二は柔中正をもって下に応ず、心を同じくする者なり。しかるに三・四に隔てられ、その同ずるを得ず。しかれども義理の同ずる所は、物が間つること能わず、ゆえにこの象あり。然れども六二は柔弱にして三・四は剛強なり。ゆえに必ず大師を用いてこれに勝ち、しかる後に相遇うを得るなり。
第5爻
九五:同人、先には号咷して後には笑う。大師克ちて相遇う。
天火同人の九五は、中正の徳を備えて六二と正応しながらも、途中の障害によって初期には苦難と深い葛藤を経験します。しかし正道を貫いて困難を乗り越えることで、最後には歓喜の再会と大きな実りを迎える兆しを示しています。
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易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。 Page: Hexagram 13 同人 — 第5爻. 二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解: https://eastalmanac.com/ja/yijing/13/5
九五は尊位にあって六二と正応の関係にありますが、間に位置する陽爻の妨害を受けるため、当初は悲嘆に暮れるほどの試練に直面します。伝統的な易の解釈では、公明正大な志を失わず正当な手段で壁を打ち破ることで、深い悲しみの後に大きな喜びを分かち合える「先号咷後笑」の道とされています。変卦が明晰さを司る離為火となることからも、誠意と毅然とした行動が事態を明るい結末へと導く鍵となります。結論として、初期の苦境に挫けず正しさを保ち続ければ、望ましい協力関係を取り戻せる可能性が高まります。
組織内の連携や重要プロジェクトにおいて、他部署の利害対立や予期せぬ抵抗に遭い、初期段階では大きな摩擦とプレッシャーを抱えやすい時期です。伝統的な教えによれば、大義名分を堅持し公式な手続きと強固な協力体制で挑むことで、困難な障壁を打ち破る突破口が開けるとされています。不当な圧力に屈したり感情的になったりせず、正論と粘り強さで周囲を動かしていく姿勢が成果につながります。端的に言えば、最初の抵抗に怯むことなく信念を持って前進すれば、最後には周囲を納得させて大きな成果を収める有望な展開が期待できます。
関係の進展において、周囲の反対や環境の制約、あるいはすれ違いによって、一時は思い悩み涙を流すような局面を迎える可能性があります。しかし二人の根本的な結びつきが本物であるならば、困難を共に乗り越える過程を通じて絆は一層強固なものへと深化します。一時的な障害に惑わされることなく、率直で誠意ある対話を重ねていくことが打開の原動力となります。要約すると、辛い時期があっても互いを信じて乗り越えれば、最後には心からの笑顔で結ばれる関係につながりやすいでしょう。
共同事業の清算や契約交渉などにおいて、利害関係の衝突から合意形成が難航し、一時的な停滞や不安を味わいやすい局面です。易の構造は、曖昧な妥協に逃げず、正当な権利と公正なルールに基づいて毅然と交渉を進めることが最終的な解決をもたらすと教えています。専門的な知見や正規の手続きを活用して着実に進めることで、正当な取り分を守ることができます。まとめると、短期的な滞りに焦ることなく道理にかなった手続きを徹底すれば、適正な実りを手にできる可能性が高まります。
同人の先とは、中直なるを以てなり。大師相遇うとは、相克つを言うなり。
周易本義爻辞
號は戸羔の反。咷は道刀の反。旅卦に同じ。五は剛にして中正、二は柔中正をもって下に応ず、心を同じくする者なり。しかるに三・四に隔てられ、その同ずるを得ず。しかれども義理の同ずる所は、物が間つること能わず、ゆえにこの象あり。然れども六二は柔弱にして三・四は剛強なり。ゆえに必ず大師を用いてこれに勝ち、しかる後に相遇うを得るなり。
周易本義小象伝
直とは理直をいう。
伊川易伝爻辞
九五は二に同じくして三・四の二陽に隔てらる。五は自ら義直理勝たるをもって、憤抑に勝えずして號咷するに至る。しかれども邪は正に勝たず、隔てらるる所となるといえども終には必ず合するを得、ゆえに後には笑うなり。「大師克ちて相遇う」とは、五と二は正応なるに二陽が理ならず隔奪す。必ず大師を用いてこれに克ち勝ちて、乃ち相遇うを得るなり。「大師」といい「克つ」というは、二陽の強きを見るなり。九五は君位にして爻に人君同人の義を取らざる者は、けだし五は専ら私暱をもって二に応じ、その中正の徳を失えばなり。人君は当に天下と大同すべし、しかるに独り一人を私するは君道に非ず。また先には隔てられて號咷し、後には遇いて笑うは、これ私暱の情にして大同の体に非ざるなり。二の下に在るすらなお宗に同ずるをもって吝とす、いわんや人君においてをや。五はすでに君道において取るなし、ゆえに重ねて君道を言わずして、二人同心の間隔すべからざるの義を明らかにす。『繋辞』に云う、「君子の道、あるいは出で、あるいは処り、あるいは黙し、あるいは語る。二人同心、その利は金を断つ。中誠同じく、出処語黙に同じからざるなきは、天下よく間つるなし」と。同じき者は一なり。一は分かつべからず、分かればすなわち二なり。一は金石を通じ水火を冒し、入る能わざる所なきをもって、ゆえに「その利は金を断つ」という。その理は至微なり、ゆえに聖人はこれを賛して「同心の言、その臭は蘭のごとし」と曰う。その言の味気深長なるを謂うなり。
伊川易伝小象伝
先に號咷するゆえんの者は、中誠理直をもってのゆえに、その忿切に勝えずして然るなり。その敵は剛強にして大師を用うるに至るといえども、義直理勝にして終には能くこれに克つ、ゆえに能く相克つと言うなり。相克つとは能く勝つを謂い、二陽の強きを見るなり。
周易注爻辞
『彖』に曰く、「柔、位を得、中を得て、乾に応ずるを同人と曰う」と。然らば則ち柔を体として中に居り、衆の与(くみ)する所なり。剛を執り直を用いて従わざる所なきも、近く二剛に隔てられて、いまだその志を獲ず。ここをもって「先には號咷す」るなり。中に居り尊きに処れば、戦えば必ず克ち勝つ。ゆえに「後には笑う」なり。物をして自ら帰せしむる能わずしてその強直を用いるがゆえに、必ず大師を用いてこれに克ち、然る後に相遇うなり。
周易正義爻辞
正義に曰く、「同人先には號咷す」とは、五は二と応じ、その剛直を用い、従わざる所なし。ゆえに九五は二と共に相和同せんと欲するも、九三・九四、これと二を競うなり。五はいまだ二を得ず、ゆえに志いまだ二に和同せず、ゆえに「先には號咷す」るなり。「後には笑う」とは、尊位を得て処れば、戦えば必ず克ち勝つ、ゆえに「後には笑う」なり。「大師克ちて相遇う」とは、物をして自ら己に帰せしむる能わず、その剛直を用い、必ず大師をもって三・四と戦い克ちて、乃ち二と相遇うを得るなり。この爻は物象を仮りて人事を明かすなり。
周易正義小象伝
正義に曰く、「同人の先なるは中直なるをもってなり」とは、「先には號咷す」の意を解す。その中正剛直の道を用うるをもって、物のいまだ従わざる所となり、ゆえに「先には號咷す」るなり。ただ『象』は「號咷」の字を略す、ゆえにただ「同人の先なるは中直なるをもってなり」というなり。「大師相遇うは相克つを言うなり」とは、「相遇う」の義を釈す。必ず大師を用いて乃ち能く相遇うゆえんなり。大師を用いて三・四と相伐ちて克ち勝つを得て、乃ち二と相遇うをもって、ゆえに「相克つ」というなり。