East Almanac
日本語

21. 火雷噬嗑 (噬嗑)

第1爻

この爻が動けば に変じる 35. 火地晉 (晋)
初九。校を屨きて趾を滅す。咎なし。

現代解釈

初九は過ちの初期段階で足枷をはめられ、小さな戒めによって大きな災いを未然に防ぐ象徴です。初めの挫折や警告を素直に受け入れて歩みを止めることで、後々の大きな咎めを免れる道が示されています。

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プロンプトプレビュー
易経・四柱推命のリーディング依頼(eastalmanac.com より)。
Page: Hexagram 21 噬嗑 — 第1爻.
二層構造で解釈してください。1)理法の根拠:卦爻の変爻や干支五行の力点と注意すべき盲点。2)実践的アドバイス:問いに対する率直な結論、動詞から始まる2〜3の具体的な行動指針と内省の要点。決定論を排し、自省と意思決定の参考にしてください。出典・詳解:
https://eastalmanac.com/ja/yijing/21/1

易の占い

最下位の陽爻として動き出そうとする初九ですが、足枷によって進路を遮られ行動の制約を受けます。伝統的な解釈では「滅趾」という小さな痛みを通じて誤った衝動を初期に封じるため、「咎なし」と判断されます。最初の警告を謙虚に受け止め、無理に進まず立ち止まることが身を守る最善策です。

仕事・キャリア

業務の初期段階や新規プロジェクトにおいて、手続き上の不備や規則違反による軽微な注意やブレーキを受ける場面を示します。小象伝が「行かざるなり」と説くように、面子にこだわって強行するのではなく、早期のストップを軌道修正の好機と捉えるべきです。小さな指摘を真摯に受け入れて改善すれば、致命的な業務トラブルを未然に防ぐことができます。

恋愛・対人

交際が始まったばかりの時期や関係の進展において、些細な価値観の相違や境界線の越境から生じる小さな摩擦を暗示します。古典の視点では、問題が深刻化する前に互いの基準や不快感を共有し、行き過ぎた言動を止めることこそが健全とされます。違和感を覚えた段階で立ち止まりルールを擦り合わせることで、安定した信頼関係が育まれます。

金運

金銭管理や試行的な取引において、初期の小口損失や規約上の注意喚起に直面する状況を表します。損失を取り返そうと焦って資金をつぎ込むのではなく、ルールに従って即座に損失を限定し、手を引く姿勢が肝要です。初期の損失を冷静に受け止めて撤退すれば、手元の資産基盤を確実に守ることができます。

参考資料

原文

小象伝

校を屨きて趾を滅すとは、行かざるなり。

古典注釈

周易本義爻辞

校の音は教。

初と上は位無く刑を受くるの象と為し、中の四爻は刑を用ふるの象と為す。初は卦の始めに在りて罪薄く過小なり、又た卦の下に在り、故に校を履きて趾を滅するの象と為す。悪を初めに止む、故に咎無きを得る。占ふ者は小しく傷つくも咎無きなり。

周易本義小象伝

趾を滅するは、又た悪に進まざるの象あり。

伊川易伝爻辞

九居初最下位なき者なり。下民の象にして刑を受くるの人為り。刑を用ふるの始めに当たり、罪小にして刑軽し。校は木械なり。其の過ち小なり、故にこれを足に履かせて以て其の趾を滅傷す。人小過ありて校して其の趾を滅すれば、則ち当に懲懼して敢へて悪に進まざるべし、故に咎無きを得る。繋辞に「小しく懲らしめて大いに誡むるは、此れ小人の福なり」と云ふ。小と初とにこれを懲らすを言ふ、故に咎無きを得るなり。初と上とは位無くして刑を受くるの人と為り、余の四爻は皆刑を用ふるの人と為る。初は最下に居りて位なき者なり、上は尊位の上に処り尊位を過ぐるも亦た位なき者なり。王弼は陰陽の位無しと為すも、陰陽は奇偶に係り、豈に無きを容れんや。然れども諸卦の初上は当位・不当位を言はざる者は、蓋し初終の義を大なりと為せばなり。臨の初九は則ち位を以て正と為し、需の上六の「位に当たらず」と云ひ、乾の上九の「位なし」と云ふが若きは、爵位の位にして陰陽の位に非ざるなり。

伊川易伝小象伝

校を履きて其の趾を滅傷すれば、則ち懲誡を知りて敢へて其の悪を長ぜず、故に行かれざるなりと云ふ。古人刑を制するに、小罪有らば則ち其の趾を校す、蓋し其の行を禁止して悪に進まざらしむるを取るなり。

周易注爻辞

位無き地に居りて以て刑の初めに処る、刑を受くる者にして刑を治むる者に非ざるなり。凡そ過ちの始まる所は、必ず微より始まりて然る後に著に至る。罰の始まる所は、必ず薄きより始まりて然る後に誅に至る。過ち軽く戮薄し、故に「校を履きて趾を滅す」とは、其の行を桎するなり。懲らすに足りて已む、故に重からざるなり。過ちて改めざる、乃ちこれを過ちと謂ふ。小しく懲らしめて大いに誡むれば、乃ち其の福を得、故に「咎なし」なり。「校」とは、木を以て絞校する者なり、即ち械なり、校とは其の通名を取るなり。

周易注小象伝

過ち此に止まるなり。

周易正義爻辞

「初九」より「咎なし」に至る。

正義に曰く、「校を履きて趾を滅す」とは、屨は著けて履践するを謂ひ、校は施す所の械を謂ふなり。刑の初めに処り、位無き地に居る、是れ「刑を受くる」人にして、「刑を治むる」の主に非ず。「凡そ過ちの始まる所は、必ず微より始まり」、積みて已まざれば遂に著に至る。「罰の始まる所」は、必ず薄き刑より始まる。薄刑にして已まざれば遂に誅に至る。刑の初めに在りては過ち軽く戮薄し、必ずこれを足に校す、足る懲誡と為る、故に復た重ねて犯さず。故にこれを足に校し、已に其の趾を没し、其の小過を桎し、其の大悪を誡むれば、過ちて能く改むるは乃ち是れ其の福なり。復た「趾を滅す」と雖も「咎なし」と謂ふべし、故に「校を履きて趾を滅す、咎なし」と言ふなり。

周易正義小象伝

正義に曰く、「校を履きて趾を滅す」の義を釈す、猶ほ校を著けて其の趾を滅没するがごとし。小しく懲らしめて大いに誡む、故に罪過止息して行かれざるなり。

一撮金爻辞

初九初爻・上中:人楼に倚りて、愁ひ多し。淡然として歩を進むれば、事始めて憂ひ無し。

出典